« 2013年08月 | TOPページへ | 2013年10月 »

2013年09月27日

『使える牛肉レシピ』

06176.jpg『使える牛肉レシピ』
― スーパーの牛肉がそのまま使える。和・洋・中・韓90品 ―

著者:吉岡英尋、有馬邦明、菰田欣也、金 順子 共著
発行年月:2013年9月27日
判型:A5 頁数:136頁


和・洋・中と、料理の幅の広さが自慢の本シリーズ。

今回は初めて韓国が加わりました。

お願いしたのは東京・赤坂の人気韓国料理店「どんどんじゅ」「おんがね」をきりもりする金順子さんです。

韓国の牛肉料理といえば焼き肉。

本書でも醤油味、塩味、辛味噌味の3種の味の焼き肉をご紹介いただきました。
食べくらべてみるのも楽しいですよ。

醤油味は少し甘め。
塩味はすっきり。
コチュジャンを使った辛味噌味は、見た目はこってりですが、味は意外にさっぱりしています。

醤油味のベースになっている「醤油たれ」は、焼き肉の他、炒め物や煮物などにも使える万能だれです。
作って保存しておけば、とても役立ちそうです。


yoshioka.jpg◎つくね焼き 味噌煮込み
 [なすび亭 吉岡英尋 氏]

かつて店でランチをやっていたころに、
大人気だったメニュー。

味噌と牛肉とバターで
ドミグラスソースそっくりの味に。

arima.jpg◎春巻きフリット
パッソアパッソ 有馬邦明 氏]

牛肉とチーズが入った春巻き。
手に入りやすい春巻きの皮を使うと
より簡単。
ワインのおつまみに。

komoda.jpg◎牛ヒレステーキ
葱姜ソースのヒスイ仕立て

szechwan restaurant 陳 菰田欣也 氏]

ピリっと辛い
大根おろしベースのソースが、
脂の多いサーロインに
よく合います。

kin.jpg◎カルビ焼き(醤油味)
どんどんじゅ 金 順子 氏]

自家製の
醤油だれを使った焼肉。

ほかの塩味、辛味噌味と合わせて
味の違いを楽しんで。


*** 使えるレシピシリーズ 好評発売中!! ************

06168.jpg『使える魚介レシピ』
著者:丹下輝之、日高良実、菰田欣也 共著
発行年月:2013年5月2日
判型:A5 頁数:140頁

06159.jpg『使える豚肉レシピ』
著者:笠原将弘、音羽和紀、小林武志 共著
発行年月:2012年12月3日
判型:A5 頁数:136頁

06160.jpg『使える鶏肉レシピ』
著者:丹下輝之、濱崎龍一、五十嵐美幸 共著
発行年月:2012年12月3日
判型:A5 頁数:140頁

**********************************************

柴田書店Topページへ

投稿者 webmaster : 10:13

2013年09月26日

料理本のソムリエ [vol.60]

【 vol.60】

「ナポリたん」ってお子ちゃまキャラだと思ってたのに、
いったいどんな過去が…

 朝ドラのあまちゃん、いよいよクライマックスですねえ。料理人の皆さんはご覧になっているのかしらん。本放送中は仕込みだの仕入れだのをしていそうだし、再放送はランチの真っ最中だからねえ…。高校野球のシーズンは厨房でラジオを聞いてる料理人さんを見たことがあるけれど、さすがにテレビはねえ。

 私にいたっては午前8時なんて深い時間帯の放送にはあんまりご縁がなくて、夜中の一挙ダイジェスト放送でようやく全体像をつかむことができました。なるほど、よくできたドラマだわー。伏線がよく練られていて、きっちり回収されるのには感動です。さらに驚いたのは、てっきり震災は最後の最後のほうでちょこっと触れて、涙なみだのハンカチとオブラートに包んでおしまい、となるとばかり思っていたのがあにはからんや。まさかの正面突破です。批判もあるかもしれませんが、そのプロ意識に拍手を送りたい。

 そんなにわかファンはいまさら会社の近くが東京編の舞台になっていることに気づきまして、さっそくアメ横女学園東京EDOシアターの幻影を求めて聖地巡礼してみましたよ。ていうか、昼めし食べに行くあたりなので。シアターのモデルのアメ横センタービルには食材の仕入れでご厄介になっているし。それで初めてこの商店街が、あまちゃんで街おこしをしていることにも気づきました。まあ周りじゅう看板だらけでほとんど目立たないので、本気度は不明です。

ameyoko.jpg

 「無頼鮨」はどこかモデルがあるんだろうか? 小上がりとはいえ庭もあって、それなりのお値段そうな店だけど、アメ横周辺にはわれわれでも手が届く庶民的な寿司屋さんが多くて、そっちのほうしか知らないや。画面に写っていた電信柱の住所からいうと御徒町駅のすぐ近くなんだけど、あれはセットだしなあ……なんて狭い裏路地できょろきょろしていたら、背後から声をかけられました。ここでドラマだと種市先輩だったりするのかもしれませんが、フード・ラボのO澤所長。思いっきり不審人物。かなり恥ずかしい。

naporipandaburger.jpg さて、この流れで寿司の本の話へもっていきますと、たいへん自然で柴田書店のブログらしいのですが、私が釣られるのはいつも斜め上方の隅っこのところでして。ドラマで気になったのは、春子ママが万引き未遂のユイを「リアス」に引っ張り込んで、ナポリタンを出して言う「ほら、あばずれの食いもんだよ」てセリフ。じぇじぇじぇ、ナポリタンってあばずれ御用達なの? 浅倉南ちゃんが作ってくれるものって、この間のdancyuに載ってたじゃない! アメ横近くのロッテリアはナポリぱんだバーガーが限定商品なのに、こんなにかわいいのにそんな……。「昔のドラマや映画の不良がみんなナポリタン食べる」って、言ってたけど学校さぼって喫茶店に昼間っぱらからたむろしている不良ってことなのかしら……。でも、ナポリタン好きの不良って、たいしたことなさそう(笑)。

35332.jpg ちなみに吉川敏明シェフの『ホントは知らないイタリア料理の常識、非常識』によりますと、スパゲティ・アッラ・プッタネスカなら娼婦風だし、アッラ・ケッカならおかま風なんですが、アッラ・ナポレターノは不良風てのはありません。ナポリっ子に怒られちゃうよね。

 念のためにパスタばかりのレシピを1300以上集めた『新パスタ宝典』をひもときますと、ナポレタニーナ(napoletanina)っていうのがありました。これは肉や生ハムをトマトや卵と一緒に混ぜて生地を作り、ゆでたマカロニと一緒に器に入れて湯煎にかけるもの。スパゲティとは関係ないねえ……。

 さらに探すとスパゲティでなくてパスタだけど、「ナポリ風ラグーのパスタ、ヴェラーチェ」ってのが載ってまして、こっちのほうがナポリタンぽい。みじん切りのタマネギ、ニンジン、セロリを豚の脂で溶けるくらいまで炒めて、仔牛の腰肉を入れて、トマトのピュレとオリーブ油を加えて作るソース。水またはブロード(ブイヨン)を加えながらできるだけ時間をかけて煮まして、肉は取り出して別の料理に使います。ちなみにヴェラーチェ(verace)とは「本物の」という意味で、もっとも古い伝統的な作り方だからだそうです。真のナポリパスタ協会の承認つきなのかしら。

 ほかに「パスタのナポリ風、簡単なミートソース和え」っていうのもありました。こちらは煮込んだラグーじゃないので、調理法は「センプリチェ(semplice)」。野菜を炒めたら粗びきの牛肉を加えて軽く色づけてまして、マジョラム、ナツメグ、塩コショウを加えて、ワインを注ぎ、裏ごししたトマトの果肉(湯むきして薄切りにしてもよい)を加え、弱火にしてゆるま湯またはブロードで煮る……ってぜんぜん簡単じゃないし。

 こうした真摯な姿勢のソースに比べたらケチャップで麺に味をつけちゃうスパゲティナポリタンっていうのは、インスタントの極みだよねえ。恐らくトマト味のラグーで和えるナポリ風のパスタを作ろうとしたものの、保存がきいて手に入りやすいケチャップに頼った結果、生まれたのでしょう。じゃあそれはいったい、いつのこと?

 ナポリタン愛がこうじて、各地の特徴的なスパゲティナポリタンを訪ねたり、アメリカのハインツ社やケチャップの消費量の多いスウェーデンにまで足を伸ばしたルポ『ナポリタン!』は、『とことんおでん紀行』『カレーライスと日本人』といった先人のスタイルにならった労作なのですが、歴史考証の中途半端さは否めません。ケチャップで作るナポリタンは横浜のニューグランドホテルの入江茂忠シェフがGHQの将校のために作ったのが始まりっていう説をとっていますが、これは100%ありえないでしょう。だってケチャップ味のスパゲティナポリタンって戦前からありましたもん。

 『婦人之友』の昭和12年12月号ではうどん料理の記事で、うどんを代用して作る「スパケテナポリタン」を紹介しています。麺がうどんだなんて安い学食みたいだけど、日中戦争が始まってなんでもかんでも代用で節約が推奨された時期だからね。フライパンで豚か仔牛の肉100gと脂50g、ニンニク3片を炒めて取り出し(これも肉は別の料理に使います)、さいのめに切ったトマト小2個を入れて炒め、トマトケチャップを加え(トマトがないときには少し多めに)、月桂樹の葉2,3枚を入れて、シェリー酒5、6滴を落とします。湯(煮出し汁があればなおよし)でのばして、塩コショウで味をつけてできあがり。これをゆでたうどんにかけて、粉チーズをふります。

 所詮うどんなのに材料にシェリー酒なんて使ってお洒落さんなのは、料理研究家の趣味なのか、標準レシピなのかよくわかりません。解説には「これはイタリーでよくする料理で、これさへあれば他のものはいらないといふ人のある程そんなに美味しいものです」とありまして、れっきとしたイタリア料理とうたっております。スパ「ケ」テなのにね。

 これってうどんで作る特殊な事例じゃないの?と疑う向きには次の資料を。童謡作家、有賀連の作品集『風と林檎』(1932)にある「マカロニ」という子供向けの詩です。

 マカロニナノダヨ、コノ皿ハ    フォークニマイテル、アノヒトモ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、ミテゴラン   トマトケチャップガカケテアル
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、コノ皿ハ    タベルヨ、ボクハ、スキナンダ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ
 マカロニナノダヨ、アノナベハ   マカロニナノダヨ、ヤハラカイ
 ― プルン、ルン、ルン、マカロニダ

 ずっとマカロニマカロニ言い続けてますが、フォークに巻いているのでロングパスタでしょう。戦前の資料を見ていると、マカロニを正しく「管饂飩」っていう身も蓋もない説明をしているものもありますが、今の「パスタ」のように総称として使っていたりもします。一コマ漫画でマカロニって言ってるのに、明らかにロングパスタが描かれているのもありました。ちなみに戦前の加工食品に関するお堅い資料だと、スパゲティという単語より英語からきた「ヴァミセリ」のほうがよく使われていたりします。

 さてこれは、童謡として書かれた詩に出てくるっていうのがミソでして、子供がマカロニという食べものがどんなものか知っているのが大前提となっていることを示しています。いまヴァミセリの歌ってのを作っても、大人にだってぽかんとされちゃうでしょ? 昭和7年の段階でパスタにトマトケチャップをかけるのがさほど珍しくなかったという傍証です。ナポリタンはデパートの食堂の洋食の付け合せとして生まれたという説もありますが、ニューグランド誕生説よりはずっと傾聴に値します。

 そろそろみなさん戦後の発明っていうのは変だということに気づかれたようで、入江氏よりも前にニューグランド初代料理長のサリー・ワイルが発明した説ってのもありますが、彼はスイス人でれっきとしたフランス料理のシェフなのに、わざわざスパゲティだのケチャップを使う必然性ってのが感じられないんですよねえ。むしろワイルや入江シェフが、日本人の好きなナポリタンを、ホテルで提供できる域まで高めたっていうのなら合点がいきますが…。

 ナポリタンってケチャップで甘酢っぱいので、不良というより子供の好物。柔らかくて食べやすいしね。カレーと並んで子供に人気ですが、それじゃあそもそもミートソースでもグラタンでもいいけど、スパゲティやマカロニがいつどのような形で日本人の舌に受け入れられるようになったかというと、これがどうもよくわからない。やたらうんちくを垂れるカレーと違って、この件に関してはみんな頬かむり。実際、いつの間にか素知らぬ顔で洋食屋のメニューにまぎれ込んだ感じでして、これを調べるのはかなり大変そう。

 例の魯山人は、1935年10月の『星岡』で、大正時代にマカロニを売りにした洋食屋があったと証言しています。「その頃「伊太利」とか云ふ洋食屋があつて、イタリー風の「うどん」を自慢にしてゐる料理人があつた。「ゑり治」の横邊りだつたか、三共の横邊りだつたかにあつた。二百種類位マカロニを拵へると云ふのでね。僕は毎日違つたのを作らせて毎日食つたもんだ」(星岡60号)。先生場所がちょっとうろ覚えですが、半襟屋のゑり治があったのは銀座竹川町、喫茶部もあった三共薬品は銀座尾張町でして、今の銀座5丁目から7丁目のあたりでしょう。彼いわく17年か18年前の上京した頃の話ということなので、大正前半のできごと。魯山人に無理やり毎日違うパスタ料理を作らされて、ついスパゲティをケチャップで和えちゃったりしなかったんでしょうかねえ。

 ケチャップってアメリカ人が好んで使うので、先の本で吉川シェフはナポリタンはアメリカ生まれで英語から来ているんじゃないかと想像していますが、アメリカでもスパゲティにケチャップを使う習慣はなくて、日本に来たアメリカ人がたまげているのをネット上で見かけます。やはり日本生まれじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。

kecyappu_manisu.jpg もっとも私もケチャップ自体はアメリカで生まれたものかと思っておりましたら、『トマトが野菜になった日』によりますと、そもそもこの言葉、魚醤からきているんですって。それが東インド会社経由でイギリスにわたって、19世紀のアメリカでトマトや砂糖が加えられるようになったとのこと。インドネシアでも「ケチャップ・マニス」(あまいケチャップ)や「ケチャップ・サンバル」(トウガラシソースのケチャップ)っていうのがありまして、アメ横センタービルでも買えますが、まさかこちらが正当後継者だったとは。

 ああ、それにしてもあまちゃん、最終回を平常心で迎えることができるでしょうか。だってだって、これが終わっちゃったら次の作品は、「食」がテーマなんですってよ、奥様! こわごわちょろっとNHKの公式HPを見たところ、「志村! うしろ、うしろ!!」の気分。ああああ、この時代設定、人物紹介! 地雷があちこちにてんこ盛りですよ(泣)。どうか神様、NHK様、珍説や思い込みを、もっともらしくストーリーにちりばめませんように…。


  
  

柴田書店Topページへ

投稿者 webmaster : 13:30

2013年09月18日

『専門料理2013年10月号』 編集後記より

131310.jpg『専門料理2013年10月号』
発行年月:2013年9月19日
判型:A4変 頁数:160頁


特集:料理書 人生を変える一冊

            
「シェフの自宅の本棚を拝見! 料理の個性は、読んできた本に表われる?!」
「斉須シェフをはじめ、名著の著者へのロングインタビューも必読です」


moon.jpg 今年の夏は猛烈な暑さだったけど、ようやく涼しくなってきたね。

sun_1.jpg 秋といえば食欲……じゃなくて、読書! 今月は専門料理初の試みとなる料理書特集です。

moon_1.jpg 取材をしていても、本好きのシェフってけっこういらっしゃいます。そんな4人のシェフに自宅の本棚を見せていただいたのが、第1企画の「シェフの本棚拝見」。

sun_1.jpg 米田 肇シェフ(HAJIME)の本棚は、横長のデスクをぐるりと取り囲んだ特注品で、かっこよかった。並んでいたのは、料理書はもちろん、芸術、脳科学、さらに宇宙論の本も!

moon.jpg 唯一無二のガストロノミーをめざす米田シェフならではの本棚だった。

sun.jpg 一方、経営書が多かったのは、荻野伸也シェフ(OGINO)の本棚。

moon_1.jpg さすが、レストランだけでなく、惣菜店のプロデュースや物販店も展開するだけあります。

sun_1.jpg 一方、山田チカラシェフ(山田チカラ)の本棚は文学が多かった! 何でも中学・高校時代はかなりの文学少年だったみたい。

moon_1.jpg 意外にも今回の4人の中で、料理書中心の本棚だったのは、小林寛司シェフ(Villa AiDA)ただ一人。調理師学校時代からコツコツ買い集めたものだそう。

sun_1.jpg 地方で営業していると本や雑誌から得られる情報は本当に貴重なんだとおっしゃっていました。

moon_1.jpg 4人には、自身が影響を受けた本や愛読書も紹介いただいたので、こちらもお見逃しなく。

sun_1.jpg 第2企画では、料理にたずさわる多くの人に読んでもらいたい7冊を編集部でピックアップ。著者インタビューの他、その本に影響を受けた方や愛読者にコメントをもらいました。

moon.jpg まずは斉須政雄シェフ(コート ドール)による『調理場という戦場』。

sun_2.jpg 12年間に渡るフランス修業や帰国後にシェフとして働く中で感じたこと、考えたことが語られているんだけど、「この本を読むたびに、料理人としての勇気や誇りをもらえる」っていう料理人さん、本当に多いよね。

moon_1.jpg 斉須シェフには、『調理場?』を通じて読者に伝えたかったこと、そして自身の読書体験などについても詳しくうかがいました。

sun_1.jpg コート・ドールで働いて後にオーナーシェフになった4人に、同店での修業時代について聞いたんだけど……みなさん、斉須シェフが好きで仕方がないといった感じが伝わってきたね。

moon_2.jpg この他、『ソース』では上柿元 勝シェフ(パティスリー カミーユ)と『懐石入門』では高橋英一さん(瓢亭)にインタビュー。『料理の四面体』を書かれた玉村豊男さんには、発行した1980年当時の発行当時のことをふり返って寄稿していただきました。こちらも必読です。


料理界50人に影響を受けた本、薦めたい愛読書などを聞きました


sun_1.jpg 料理人を中心とした料理界の50人に5つのテーマで本を一冊ずつ挙げていただいたのが、第3企画の「影響を受けた本、薦めたい本」。

moon_2.jpg 人生の転機になった本……『明日の皿』『皿の上に、僕がある』『グルマン』『味の風』の他、司馬遼太郎の『燃えよ剣』なんてのもあるね。理由としては「土方歳三の強い生き方、鉄の意志に、人生を学ぼうと思いました」。なるほど。

sun_1.jpg 壁にぶつかった時に勇気づけられた一冊では……『イチローイズム』『項羽と劉邦』『壁を破る言葉』『ホーキング、宇宙を語る』などなど。

moon_1.jpg 挙げていただいた中から、とくにお薦めの本として115冊をピックアップし、シェフのコメント付きで紹介しました。

sun_1.jpg 第4企画では、料理書に強い書店さんと古書店を取材。インターネット全盛の時代だけど、本屋に並んだ棚を眺める時間ってやっぱ好きだな。

moon_1.jpg たしかに。今回紹介した中で気になる本があったら、是非書店さんに足を運んでください。思いもよらない一冊との出会いもあるかもしれません。

柴田書店Topページへ

投稿者 webmaster : 09:41

2013年09月17日

『からだ思いの家呑み和食』

06175.jpg『からだ思いの家呑み和食』
著者:小玉 勉
発行年月:2013年9月19日
判型:A5 頁数:120頁

koyama.jpg「料理屋こだま」は「ミシュランガイド東京」で2つ星にも輝く名店。
小玉さんの作る個性的な料理にはファンも多く、遠方から食べにいらっしゃるお客さまも。

数々のすばらしいお料理が作り出される厨房はさぞかし・・・と思いきや、意外にシンプルです。
一般家庭のキッチンとそれほどかわりありません。

その中で目を引くのは魚焼き器の活躍ぶりです。
どこのご家庭のガス台にもついているあの魚焼きグリルですが、
小玉さんはこれを実にいろいろな料理に使います。

たとえばデザートの「かぼちゃのカラメル焼き」や
「きんかんのチョコレートグラタン」も、この魚焼き器の中から登場しています。
見ていると、なんだかちょっと楽しいです。


06175_1.jpg◎かぼちゃのカラメル焼き
 チョコレート風味

材料を混ぜて焼くだけの、簡単デザート。
これがなかなかのおいしさ♪


06175_2.jpg◎きんかんの
 チョコレートグラタン

グリルでやくだけのシンプルな一品。
とっても上質なおつまみデザート!


06175_3.jpg◎玉ねぎのスープ
 自家製食べるラー油風味

からだが温まるオニオンスープ。
香ばしく焼けた食べるラー油がおいしい。


06175_4.jpg

柴田書店Topページへ

投稿者 webmaster : 17:10

2013年09月02日

料理本のソムリエ [vol.59]

【 vol.59】

京野菜を育んだのは土か人か

 トマトがらみでもうひとネタ。アメリカでは生食用トマトでも、果汁が少なくて固いものが喜ばれるんだそうです。「加熱調理用ならまだしも、なぜまたそんなトマトを?」と思ったら、ハンバーガーに挟むのに果汁たっぷりだとパンズに染みて困るからだそうでして。固いとスライスしやすいしね。日本のトマト農家は甘くてみずみずしい、果物のような味を追い求めていますが、ずいぶん方向性が違います。 

 お国が変わると料理が変わり、当然求められる野菜の性格も違ってきます。だから各地でいろいろと特徴的な品種の野菜が作られてきたわけでして、郷土の料理と地元の野菜は密接に結びついております。その際たるものが京野菜でして、かぶら蒸しを作るにはやっぱり聖護院蕪、田楽茄子を作るのには賀茂茄子がぴったりですよね。

 京野菜は今や全国に通じるブランドですが情報不足気味だった時代が長く、90年代以前は林義雄先生の『京の野菜記』(1975)、『京の野菜―味と育ち』(1988)、高嶋四郎先生の『京野菜』(1982)しかありませんでした。というか、現地をよく知る専門家の京野菜の本は今でもこれくらいかなあ。高嶋先生は改訂増補するつもりでいましたが果たせず、お弟子さんたちが遺稿をまとめて『京の伝統野菜と旬野菜』(2003)として出版しております。

 京都府立大農学部の高嶋先生の本は各種京野菜の履歴書というか、いつの時代にどこからもたらされたのかといった学術的な内容。お弟子さんだった林先生の本は京都府の農業試験場所長や指導所長だったキャリアを生かして、生産者の様子も盛り込んだちょっとエッセイ風になっています。ただどちらもモノクロ写真中心なのと、まったく現場を知らない人向けには書かれていないという難点が…。

horikawagobou.jpg 以前堀川牛蒡の栽培について調べていたときのこと。高嶋先生の本をひもとくと、歴史的な由来しかない。一方林先生の『京の野菜記』のほうには「…植える苗は前年の九月にまいた苗のうちから、長さ一尺五寸(四五センチ)以上で…六月の中、下旬に植える。植え方は普通の植物の植え方とは違って、東南に向けて一五度の角度に寝かせて浅く植える」ってあったんですが、これって横にして植えなおすってこと? ゴボウを?? たしかに堀川牛蒡ってよく見ると、頭と尻尾のところでクランクみたいにカクカク折れ曲がっていまして、寝っころがっていないとあの形に育たない。半信半疑で、わざわざ農家に電話して確認してしまいました。今ならネットで検索すりゃ写真入りでぞろぞろヒットしますが…。便利になりましたねえ。

 このときにふと思ったのですが、京都の野菜ってどうして土の中へ深く伸びるタイプのものが少ないんでしょう。ナスやトウガラシのような空中に実るものはともかくとして、聖護院蕪はもちろん聖護院大根もまん丸で、半分土から顔を出しています。九条葱は白い根深ネギじゃなくて葉ネギだし(まあ白ネギは土寄せするんですけどね)。

 アクがないので有名な山城のタケノコだって、厚い盛り土をしてふかふかにした特別な竹やぶで育てるからあんなに柔らかくて白いのです。海老芋は品種自体は唐芋なので普通なら寸胴型になるはずなんですが、土寄せを何度もして、先細りのあの独特な形に育てます。農家はなんだか土と戦っている感じ。それなのに、そこいらのマスコミはおおむね「京野菜がおいしいのは土がいいから」「水がいいから」って解説しています。ホントか?

 賀茂川や桂川が氾濫するたびに、山から栄養をたっぷり含んだ水が供給されるため京都の土は肥沃になったっていう説明も見たことがありますが、それってナイル川じゃないの? そもそも、いったい何年前の栄養に頼って野菜を作り続けているの??

 京都帝大農学部の大槻正男先生は、宮城県生まれで東京帝大出身。大正時代に京大に赴任して初めて接した京野菜のおいしさに驚きます。ところがある日、隣の家の竹やぶのタケノコが自宅の庭に生えてきまして、さっそくゆでてみたところ、普通にアクがあって固かった。そのため、おいしさの秘密は独自の栽培方法にあり、と気づいたそうです。ネコババしておいて、ねえ。隣の家に形見の皮は届けのたかしら。

 大槻先生は、当時の京都では水田を翌年には畑にする転作が行なわれており、栄養分やミネラルの富んだ農業用水が引き込まれた後の土地で作るため、野菜がうまいのだろうと推測されました。これなら氾濫説よりも納得がいきます。

 林先生の『京の野菜―味と育ち』でも、この転作の習慣は紹介されておりまして、“田畑輪換”というそうです。また、畑にしても一つの畦に同じ作物を作るではなく、複数種を植える“複作”が行なわれていたともあります。これも転作同様に狭い土地を有効活用する知恵なんですが、組合せによっては日陰を作ったり病気を防いだりと互いを助け合い、収量を伸ばすことができます。最近よく耳にするコンパニオンプランツってやつですね。

kamikamochiku.jpg ついでにいうと京都の水質がいいからおいしい野菜が育つっていう説明もおかしな話で、野菜と豆腐を一緒にしちゃいけませんよ。野菜の栽培は基本的に雨水やため池なんかに頼るもんですが、上賀茂や伏見は湧き水が豊富で農業用に使われています。水がいいからじゃなくて水に恵まれているからなんですね。そもそも灘の宮水じゃあるまいし、野菜が喜ぶようなミネラルたっぷりの硬水は飲んでもおいしくないです。

 京都は盆地で大阪平野や濃尾平野のように沖積土でもなければ、関東平野のように火山灰土でもない。北山の花崗岩が風化した真砂(まさ)土です。肥持ちがいい(肥料が流失しにくい)一方で、小石まじりで酸性土壌。粘土状に細かくくだけてしまうと水はけが悪くなり、長所ばかりとはいえません。前回触れた『菜園づくりコツの科学』の著者の西村和雄先生はやはり京大の先生で京都在住なんですが、雨の翌日はぬかるみになるような水はけの悪い畑を、牧草の力を借りて改良した、なんて苦労話が載っています。

 京都は関東ローム層なんかと違って耕土が深くない土地だったから、それに合った品種や栽培方法で野菜が作られてきたのではないでしょうか。事実、聖護院大根は元をたどると尾張の宮重大根(青首大根のご先祖様。フツーの形です)でして、その中から太くて短いものを選抜していった結果、あの大きなカブのような姿になったそうです。そんな風土と農家の努力が京野菜を京野菜たらしめてきたわけですが、有名になるにしたがって、素人相手の説明として、手っ取り早くてなんとなくわかったような気にさせる「土」だの「水」だのが担ぎ出されてきた気がします。

 あるいは農家の人が謙遜して、「いやあ、土がいいからおいしいんですよ」なんて言ったのを鵜呑みにしたのかもしれません。料理人さんが「いやあ、素材がいいからおいしいんですよ」って謙遜するのと一緒ですね。こっちも額面通りに受け取られているようですが、いくら素材がよくったって、腕が悪けりゃぶち壊しですからね。

 料理の世界だと、スタッフが同じ材料と分量と手順でまったく同じように作っても料理長が作ったほどおいしくない、っていうことはよくあります。一見同じようでいても火力が違ったり、作業のタイミングが違ったりしていまして、そこがレシピのポイントだったりするわけです。でも、これって言葉にするのが難しかったり、料理長自身もいつの間にか身につけていて自覚していないってことがあります。料理の世界では「仕事は見て盗め」なんていう。前近代的だという批判はもっともなんですが、教えたくても教える言葉もスキルも持ち合わせていないので、勝手に観察して探ってくれ、という意味だったりもするんです。まあ、そこを無理やりにでも引き出すのが、我々の仕事だったりするわけですが。

 ところが農業だと料理と違って仕込みから完成までひとシーズンかかりますので、雑誌記者やテレビクルーがちょっと眺めたくらいじゃ作業の特徴がわからない。農家も親から教えてもらった方法なので、よそではどういうふうに作業しているか知らなかったりしますし、そもそも赤の他人が修業のために一緒に働くっていう機会はないので、料理人以上に作業内容を言葉で逐一説明するのに慣れてない。となると地元の試験場の林先生や高嶋先生のような立場の人でもない限り、名人芸を指摘することはできないでしょう。

 京都の野菜の評判が高いのは、よい野菜を作れる腕利きの農家がたくさんあったから。そしてそうした野菜が作れてこれたのは、京都の街の人や料理人がよい野菜を求め、高いお金を払ってでも買ったから。こうした消費者の声に熱意ある農家が応えて、さらに料理向きの野菜へ改良されていったのにほかなりません。

 京都の農家は市街地が近いので、化学肥料のない時代でも街から出る屎尿やゴミを肥料とし、畑を肥やすこともできました。それでも、『京の野菜―味と育ち』によりますと、屎尿やゴミを取りにいくことができる距離の農家は限られているうえ、戦前から宅地化が進み、どんどん減る一方だったそうです。なにせ当時はすべて人力で運んでいましたからね。ちなみにこの本では京都の農家で使われてきた各種農機具の説明に30ページ以上を割いておりまして、そのひとつひとつから、農家の工夫と苦労がしのばれます。

 もし、放っといてもおいしい野菜がワサワサ作れるくらいに京都の土と水が理想的なら、伝統野菜にとどまらず、レンコンやら大豆やらお米やらどんどん栽培すればいいんですよねえ。市内には数えきれないほどのお寺さんがありますから、境内に畑を作って、収穫物をお土産や精進料理にして観光客にふるまいつつ仏の心を説けば、6次産業化をはるかに超えた高次元産業化も夢ではありませんよ。

 それとも儀式用ならいざしらず、宗教団体の土地で野菜を育てるのは、公益事業ではないから違反なのかしら。むむ、ここは国の出番ですぞ。TPPに負けない強い農業作りってやつのために、異次元緩和しなきゃね。

  
  

柴田書店Topページへ

投稿者 webmaster : 13:44