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2011年05月31日

料理本のソムリエ [ vol.22 ]

【 vol.22】
生まれと育ちで異なる魚の香り

 香りの話がまだしつこく続きます。前田學さんの一件で失敗した私ですが、香りがテーマの対談企画をあきらめたわけではありませんでした。次に白羽の矢を立てたのは寿司職人の関谷文吉さん。浅草の紀文寿司の4代目で、『魚は香りだ』というそのものずばりなタイトルの著書があります。魚のもつ繊細な香りこそがその個性であると見抜いた慧眼(鼻?)の持ち主です。
 この本は関谷さんのデビュー作『魚味礼讃』の続編でして、香りだけではなく、味の表現も豊かです。とくに貝類やイカなどの寿司らしい素材に関しては、おのずと語り口は饒舌となります。「ホッキガイほど強い甘味を訴える貝はありません。ホタテガイの味わいとは違った、もっとネットリした蜜のような濃さがあり、かすかにホヤを想わせるような青臭さが感じられるのです」「アオリイカの味わいはねっとりと、まるで雲のなかにいるようなゆったりとした諧調の甘味です。同じ甘味でもヤリイカの軽快な味とは違い、どっしりと根を張った味調です」というふうに。関口さん独自の解釈と表現ですが、奇をてらおうというのではなく、読者に納得してもらおうという姿勢が感じられます。
 さらに産卵期とその前後のシャコの違いや、アンコウの肝とカワハギの肝の脂肪の質について私見を述べたり……。実体験に裏打ちされているので、説得力があります。そこが「この魚の旬はいついつで、江戸川柳(ここはときには万葉集だったりします)ではかくかく描かれていて、栄養は何々で、刺身と煮魚と焼き魚とフライに向いている(ほかに調理法はないのでしょうか?)……」という感じの、どこかから写してきた情報を列挙していっちょうあがりのお手軽解説本とは一線を画しております。
 関谷さんは『魚味礼讃』の冒頭で、そうした借り物知識で食を語る世の風潮を批判しております。とある料理評論家はテレビ出演中に刺身を食べたものの、その魚が何だか教えてもらうまでひと言も発することができず、ホウボウであることを知ったとたんに自慢げにとうとうと語り始めるだらしなさ。そのうんちくがどこかで聞いたような話だと思ったら、書棚にあった大学の先生の本に書かれていたのと一緒だったとか。「某氏は自分自身の舌や感性で魚の味を理解しているのではなく、食味というものを書物なり、人から聞いた受け売りの知識だけで判断しているというのが、手にとるようにわかったのです」とかわいそうに一刀両断されております。
 さらに返す刀で、「通」を振り回して不勉強さと未熟さを隠そうとする半可通な同業者をもばっさり切り捨てます。「職人に<これはこうして食べるんだ>とか、<こうしてつくったもの以外は偽物だ>などと、高みから自負心の塊みたいな半端な戯言(たわごと)を見下すように聞かされるのも、たまったものではありません」「頑固さだけを売りものにして、<これは秘伝だ>とか、<何十年修業しなければできない>などと、何も知らない素人を相手に何か特別な仕事をしているようなことを言って、さもむずかしそうに見せかけていても、それはただ単に自分のステータスを高く位置づけようとするためだけのことにすぎません」……読んでいてすがすがしいくらいです。
 もちろん関谷さんの文にも、江戸時代の文献に登場する魚の記事など、他の著作から抜粋した話が盛り込まれておりますが、ただ切ってつなげたのではなく、自分の関心事に沿って調べられているのがわかります。『魚味礼讃』は雑誌の連載をまとめたもののため完成度が高いせいか、二度も文庫化されたうえにワイド版すら出ておりますが、デビュー作ですから文体に少々気負いもうかがえます。一方『魚は香りだ』のほうは筆致がばらばらなものの、肩の力が抜けておりまして、自在に筆が走っている様子がうかがえます。こちらがいまだに文庫化されないのが残念です。

22cm.jpg このブログ、まいどまいど長すぎるので
このへんでCMといきましょう。
『「止めろって言った」って言うと、「言ってない」って言う。
「危ないって言った」って言うと、「言ってない」って言う。
そうしてあとで不安になって、「止めたよね?」って言うと
「止めなかった」って言う。
あまのじゃくでしょうか。  いいえ、誰でも』 ……
これだけみるとなんだか子供の喧嘩みたいですね。

 さて、ここまでなかば興奮気味に紹介して参りましたが、「魚なんて魚くさいだけで、香りに違いなんてあるのかねえ」と半信半疑の方もいらっしゃるかもしれませんね。ましてや冷たい刺身となると、サンマの塩焼きのように香りが四方八方にただようわけではありませんから。それでも刺身を醤油ではなく塩で食べてみると、ほのかな香りでもわかりやすいので、ご関心の向きは一度お試しください。ただしカウンターの日本料理店や寿司店で通ぶって、「あー君、ちょっと塩をくれたまえ」と要求したりすると、撒かれたりしないとも限らないので、馴染みの店やご家庭で実験されたほうがよいでしょう。
 よく「日本料理は素材の持ち味を生かしている」といいますが、実は醤油、味噌、鰹節、日本酒、米酢といった香りの強い発酵食品を多用します。ですから、これらの香りでマスキングされてしまう香りがないとも限りません。実際、とある海洋カメラマンから「磯の香りはなんとも思わないが、板前割烹の厨房の独特のにおいが苦手で……」と聞いたことがあります。確かに、煮きった酒とだしとカウンターの白木の香りが混ざったようなむっとしたにおいってありますよね。外国の人が日本の空港に降り立つとまず感じるのは味噌の香り、なんていう話もありますから、自分が慣れきっている香りはあまり感じなくなっているのかもしれません。日本人が思うほど素材の香りを生かせていないかもしれませんよ。

 さて日本生まれで日本育ち、スーパーで買ってきた特売の刺身を醤油にどっぷりくぐらせて長年食べてきた私が、初めて同じ魚種でも生まれと育ちで香りが違うことを思い知らされたのは、雑誌の企画で実施した鯛テイスティングでした。vol15で紹介した水テイスティングもそうですが、素材の比較研究にやたら凝っていた時期がありまして、鯛テイスティング企画では神奈川の佐島、明石、鳴門、長崎、佐賀関、ニュージーランド、養殖の鯛をソムリエの田崎真也氏の解説を受けながら食べ比べました。代々新鮮な魚に触れてきた寿司店の主人ならいざ知らず、鈍感な舌の持ち主のわれわれに、はたして差なんてわかるのだろうかとおっかなびっくりトライしてみたのですが、不思議なことに微妙に違う。とくに佐島のタイは海苔のような磯の香りが、明石の鯛はほのかに甲殻類の香りがしまして、明確な個性が感じとれました。
鯛は雑食性なのでエサの違い(もっとも佐島の鯛は海草ばかり食べているわけではないでしょうが)が反映したのでしょうか…。もちろんこれだけの数の鯛を揃えたのですから、ただおいしくいただいただけで終わらせたわけではありませんよ。その時に集めた懐かしい鯛の写真は、別冊専門料理『素材と日本料理』第2巻だったり、柴田書店ブックス『鯛』の図鑑ページでも見ることができます。

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 ちなみにこの時取り寄せた養殖の鯛は、天然の鯛も扱う業者さんが、天然に近い仕上がり(養殖の鯛は黒っぽかったり、ヒレがすり切れていたりするのです)という自慢の品だったのですが、残念なことにかすかに泥っぽいにおいがしました。これは養殖場では酸化しやすい脂の多いエサを与えているせいなのか、あるいは食べ残したエサが底にたまりやすく、そうした泥のにおいのする水の中で育ったからなのでしょうか…。後日、ヨーロッパで養殖されているテュルボ(ヒラメの一種)の刺身を食べた時にも同じにおいを感じたので、これは日本の養殖魚に限ったことではないのかもしれません。
 もっとも「だから養殖はいけないのだ」というつもりは毛頭ありません。しかし養殖魚は、見た目や脂ののりをよくすることも大事ですが、香りという大きな課題があるのに無頓着でいてはいけないと思うのです。養殖業者さんによると改善する方法はあるようなのですが、市場がその努力を評価してくれないのだとか。努力をしてもしなくても「養殖だからこの値段」という相場で一律同じ扱いにされがち。あるいはサイズが揃っているといった要素(ウナギなんかは串を打ったりお重に入れたりする都合上重要らしいです)のほうが優先されたりします。流通業者も消費者も、自分の感覚で商品の味をはっきりと見定めて(食べ定めて?)、評価しようという姿勢が欠けているのでは……。もっと香りと食感(養殖魚の場合のもう一つの課題は、身の固さです)を評価し、向上させる道を探れば、養殖の分野でも世界をリードできそうな気もするのですが。なにしろ世界一魚に親しんでいる魚喰い民族なのですから。
 ちなみに関谷さんが魚の香りに着目するようになったのは、ワイン好きだったからだそうです。だから関谷さんの魚の味や香りの表現は具体的で、情報を誰かと共有したいという気持ちが見え隠れしているのでしょう。関谷さんとソムリエさんとなら魚の香りをいかにして意識の俎上にのせるか、どのように表現できるかで、さぞや話が弾むではなかろうか……。ところがいざお店に対談依頼の電話をしましたところ、奥様が出られて大変恐縮したご様子で「最近、身体の調子が悪くて取材は……」とのお返事。それでもどこかの水検査会社の対応とは大違いでした。
 それからしばらくして関谷さんは現場を離れ、3年ほど前に亡くなられたと人づてに聞いております。前田さんも、前回紹介した醸造学者の富永さんも、ほぼ同じ頃に亡くなられました。人と人との出会いをセッティングするのが編集者の仕事ですが、なかなかそれすらもうまくいかないものです。


 
 

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投稿者 webmaster : 2011年05月31日 09:49