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2012年06月21日

料理本のソムリエ [vol.44]

【 vol.44 】
「まったり」についてマターリと語ってみた


 梅雨入り前の6月の晴れの日。行ってきましたよー、東京スカイツリー。近くに会社がある特権ですからね。○○と煙はぐんぐん高いところへと向かいますよ。

 浅草から東武線に乗るとあらびっくり。業平橋駅がカナばかりの長ーい名前になってるぞ? この“とうきょうスカイツリー駅”と京成線の押上駅を付帯施設のソラマチがつないでおりまして、スカイツリーはその真ん中あたりにそびえています。団体さんは1階から入りますが、個人の入口は4階の露天の広場スカイアリーナから。見ろ! 人がゴミのようだ! はっはっは!

skytree.jpg

 すみません、嘘です。完全予約制ですからおいそれと登れるわけがありません。東京タワーよりも高い展望台ですから、たぶん道行く人の頭なんぞは、ミジンコどころか針の先っぽでしょう。

 ここに来た本当の目的はソラマチの料飲施設の偵察です。観光客の流れをかきわけかきわけ、目的の店までたどり着くとこれまた結構な長さの列。平日の昼間なのに、早くも涙目です。2軒はしごして食事をしたところで、もうギブアップ。同行願った私の先輩はさっそうと3軒目へ足をのばすべく消えてしまいましたが、私はここでまったりスカイツリーでも眺めているといたしましょう。下を向くと苦しいからちょうどいいや。

 ところで、この「まったり」なんですけどね。もはや当たり前のように、ゆったり、ゆるーりという意味で使われる言葉になっておりますな。バブルの頃は料理の味の表現として一世を風靡したのですが、今はそっちの用途で見かけるほうが少なくなりました。

 2003年刊の『「ことばの雑学」放送局』ではこうしたゆったり系の使い方を間違った大阪弁として紹介しております。さらに『ワードウオッチング ― 現代語のフロッピィ』(私家版・1999年)を取り上げて、ジベタリアンやポスト・バブルのフリーター予備軍の行動様式の形容で使われた事例から、もともとどんより、どろんとしたといったマイナス評価の言葉だったという指摘を紹介しています。なんだか死語だらけですが、流行語をとらえようとすると自然にこうなってしまうかもしれませんね。当時を知る者としては、確かにかつての「まったり」には、そんな投げやりなニュアンスがあった気がします。

 ただ、味の表現としての「まったり」の使われ方については、この本からはわかりません。これに関しては、朝日新聞1999年5月22日夕刊の「探検キーワード」でかなり大きなスペースを割いて取り上げているという追記がありました。さっそく見てみましたよ。記事では、80年代半ばに料理評論家の山本益博氏が好んで使っていたと紹介されています。取材を受けた山本氏は「意識して使った記憶はないんですよね」と前置きしながらも、「今にして思うと、上質のフランス料理の、クリームやバターをたっぷり使っていながらすっきり切れのある表現にピタっときたのでしょう」とまんざらでもなさそうです。

 ところが99年10月に文庫化された『決定版日本グルメ語辞典』に解説を寄せた山本氏は、自身が本書中でまったりを東京の文化圏で定着させる上で大きな功績のあった人物として描かれているのに異議を唱えておりまして、<わたしの知る限り、まったりの初出は、漫画『美味しんぼ』ではなかろうか>と、その栄誉を譲っております(ちなみにこの本、文庫化前の原題は『食味形容語辞典』なんですが、実際は料理関係の文章表現にことよせたエッセイで、決定版でも辞典でもありません)。さらに山本氏はお茶の家元に、京都ではまったりという表現をどんなときに使うかたずねてみたところ「料理や味には使いませんわ。そうですなぁ、まったりした湯かげんですなぁ、なんていうふうに使いますかしら……」という答えが返ってきたそうで、<フランス料理の凝ったソースではなく、日本料理のお椀の味などにぴったりの形容語ではなかろうか、とそのとき思ったものである>と結論しております。

 うーん、どうして湯加減がお椀に結びつくのかよくわかりませんが、お椀の温度なんでしょうか。千澄子氏のカラーブックス『京のお番菜』の写真に「白みそはまったりした味で」ってキャプションが入ってるところをみると、味噌仕立の椀のことかしら? でも、こちらのお茶の先生てば、料理や味には使わないって言ってるし。流派の違いですかね?

 ちなみに83年から連載が始まった『美味しんぼ』では「まったり」は早くも1巻第2話で登場します。フォワグラを食べた栗田さんの「まったりとこくのある味が口の中にとろけるようにひろがって…そしてこの香り…」という感想でした。「まったりとしていてそれでいて少しもしつこくない」っていうのが決めゼリフのように知られていますが、どの辺の話に出てくるのでしょう。3巻第3話でスッポンを食べた栗田さんは「こってりとしていて、それで少しもくどくないのね、それにこの舌ざわり」と述べていましたが…。もっとも私は初めのほうの巻をちょっと眺めただけでして、どなたか108巻分チェックして初出をお教えください。

 それではまったりとはどんな味を指し、「美味しんぼ」以前にはどんな使われ方をしていたのでしょう。各種辞典の用例やネット検索などで拾い集めてみました(本当は発表年月まで調べたほうがいいのですが、めんどくさいので単行本になった年を示しています)。

 先の朝日新聞では江戸料理研究の松下幸子氏が、開高健が小説の『新しい天体』(72年刊)で使っていたはずと指摘しておりまして、記者はさっそく、主人公がたこ焼きをだしに浸す場面で<おつゆがなかなかよくできていて、まったりと含みの深いゆたかさがあり…>というくだりを見つけています。
 そこまではよかったのですが、言語学者の寿岳章子氏が「私にとっては、お豆さんとか、おたいさんをたいたもんですね。まろやかだけど、手間暇かけておだしを染み込ませた味」「まったりは、味についてだけいうのと違います」「物腰柔らかやけど、底にしゃんとしたものがある。それがまったり」という意見を展開。さらに宮台真司氏が「まったりと生きよ」やら二面性の表現とやらの持論とからめ出し、なんだか大仰かつ胡散臭い話になって記事は終了、消化不良な感じです。

 もしかしたら山本氏は、この記事中で<今の「まったり」と比べてなんだか淡白そう>って感想をもらした朝日新聞記者にミスリードされて、フランス料理の味の表現に使うのをやめて、お椀の形容語であると唱え始めたのかもしれませんね。でもね、開高健は同じ小説の中で、もつ煮込みを<コトコト煮ていくうちに内臓の脂やソースが味噌の味をまったりとしたものに変え、おたがいにいい影響をあたえあう>って書いているんですよ。さらに同氏は「貝塚を作る」(79年刊『歩く影たち』所収)で、べトナムのフークォック島は<精妙で香りの高い胡椒と、まったりとして柔らかく豊潤な味のするニョク・マムが特産品である>とも記しております。

 大阪の女性作家といえばこの人ありの田辺聖子は、『歳月切符』(82年刊)の「大阪のおかず」で、<大阪のきつねうどんとかお好み焼きは、「吉兆」や「瓢亭」の結構なるお料理にまさるとも劣らないと思っている。きつねうどんの、あのまったりしたお汁(つゆ)は、決してうす味ではなく、じつに複雑な味で、あれは家庭で出そうとしてもとても出ない味である>と語っています。よーく考えたらたこ焼きを浸すだしの味がまったりなんですから、京料理の上品なお椀の味とはちょっと違うようです。

 調子にのって、どんどんいきますよ。同じく大阪出身の富岡多恵子の『冥途の家族』(74年刊)では、<そのおもゆも、まったりとしたおいしいお米の味がした>というくだりがあります。重湯なら、確かにまったりとして少しもしつこくなさそう。ところが「なだ万」創業者一族で東京店の店長だった俳人、楠本憲吉は『たべもの歳時記』(70年刊)で<シャリが関西では甘くて軟かく、いわゆる「まったりした」味を出している>と表現しています。ちなみにvol.40で私が糾弾した「関西おでん炊出し説」は、この本にも載っております。どうやら問題は根が深そうです。

 味噌とだしとニョクマムと重湯と大阪ずしに共通する味というのは何なのでしょう。まったりの語感から、とろりとしたもの限定というイメージがあったのですが、ニョクマムやすし飯もありですからねえ…。どうも察するに、旨みのある味が「まったり」のようです。美味しんぼ原作者の雁屋哲氏は多くのグルメ小説やエッセイから作品のネタを仕入れているようですから、まったりという言葉にも親しんでいて、セリフ中に自然に出てきたのかもしれませんね。もっともフランス料理を表現するのに使うのが雁屋流で、そこが人の目を引いたのかもしれません。たとえば3巻第4話で「血を使ったソースはまったりとしていて、カモの肉はジューシイで、それにいい香り!」と栗田さんが興奮しておりました。それにしてもこの人、食事中によくしゃべるなあ。

35198.jpg 柴田書店の本で大阪料理第一人者といえば「喜川」の上野修三さん。『なにわ味噺口福耳福』の中で「京の持ち味、なにわの食い味」という言葉をひいて、まったりは“食い味”であると説明しています。さらに素材の持ち味を生かすためにあくまでも薄味なのが京料理、素材の味を引き出すようにして深みをつけるのが大阪料理とも。
<ところが近頃、そのまったりが前味(まえあじ)、口に入れてすぐわかるうまみと間違えられてはいまへんやろか。食い味は、前味とも違うし、後でじわっとおいしかったなと感じる後味(あとあじ)とも違うもので、どっちかいうたら、そう、後味に近い中味のことであろうとわたしは思うんです>

 うーん大阪弁の世界は奥が深いですね。後味は返り味とも言いまして、飲み込んだあとに、ふっと鼻に抜けるように感じる味のこと。よくお椀は、ひと口めでおいしいと感じるようではだめで、後口で満足するような味つけにせよと言います。ところが最近は前味で勝負、ストレートにがつんとくる料理が好まれてきているんですね。後味がおいしいお椀に対して、だしが利いていないとかいう、わかったふうなコメントも見かけます。「がっつりしていてそのうえくどい」のが時代の好みなのでしょう。(この項続く)

  
  
  

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投稿者 webmaster : 2012年06月21日 15:42