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2011年12月07日

料理本のソムリエ [ vol.34]

【 vol.34】

第一発見者は別人だった!
船上で侍ボーイが見た謎の外国人、
その手にはいったい何が!?

 前回またまたカツ丼の話なんかに寄り道した挙句の果てに、カレー粉の本の話になっちゃいまして、カレーの本は結局まともに登場しませんでしたね。いよいよもってトンカツ偏執者、違ったトンカツ編集者の烙印を押されそうなので、今回こそカレーの本の話といたしましょう。

 そもそも私はトンカツじゃなくて、スパイスの歴史を研究して香料諸島に行くのが学生時代の夢だったのですよ。それがどこかで道をまちがえまして、どっちも果たせずになぜかここでこうしてこんなブログを書いています(遠い目)。月刊誌の編集者時代にエスニック特集が組まれたときはそりゃあ嬉しくてサンバルとかカピとか集めて張り切ったものですが、その号はあんまり売れずにがっかりしましたよ(さらに遠い目)。当時としては聞いたこともない香りも知らないスパイスやら調味料の話っていうのは、あんまり関心を引かなかったのかもしれません。
06022.jpgですから4年前に小社からカレー専門店から東南アジア料理店まで33店のレシピを集めた『カレーのすべて』が出たときは、読者がついてくるのかひやひやしたものです。ところが意外やアマゾンのレビューをみるとプロ以外の人も買って試しているようで(そのため分量が料理店仕様で多すぎるとかいう不評もありますが、これは小社の本の宿命でして…)、隔世の感がありますねえ。

 いまや素人だって各種スパイスを手に入れて汗をかきかき本格的なカレー作りに挑戦する時代。カレーに関する本も汗牛充棟、本棚からこぼれ落ちそうなほど出版されています。レシピ本やガイド本は例によって割愛しても、薀蓄本、雑学本がずいぶん増えました。

 その嚆矢は1983年の江原恵の『カレーライスの話』あたりでしょうか。74年に『庖丁文化論』で鮮烈デビューした江原氏は“料理学”の論客をめざした人でありまして、家庭料理の店を経営したこともあり、実体験に裏打ちされたユニークな着眼点が学者さんにない持ち味です。ただし代用教員から料理人になったという経歴のせいか、生粋の料理人を終生の敵と捉えている節があるうえに、高価な料理や外国料理は特権階級のものであるという階級史観臭が全体をおおっておりまして、アジ調っぽい内容です。第一章は友人との会話スタイルになっているのですが、それがまどろっこしくて成功しているとは思えません。料理の理解が中途半端で、敵の姿がはっきり見えないままにいきんでいます。まあ、全共闘世代が好みそうではありますが…。

curryko.jpg 続いて1989年の森枝卓士の『カレーライスと日本人』は、海外旅行が珍しくなくなったバブル時代の本らしく、インド人に日本風カレーを食べてもらって感想を求めたり、カレー粉のブランドとして戦前から名高かったC&B社(ちなみに同社の製品は今でも現役です)を訪ねてイギリスに渡ったりと実に活動的です。ポストモダンの80年代というよりは小田実の「何でも見てやろう」的スタンスなのですが、机の上にとどまらずに実地で調べてやろうという姿勢に好感が持てます。ただ取材ルポルタージュという形でまとめてしまったがために、当時はビビッドだった著者の感想や説明が逆にあだになって、今読み返すとどうしても20年前の本という印象を受けてしまう。難しいものですねえ。
 文句ばっかりですがこの2冊、著者の個性がはっきり出ている点が、昨今のカレー本とは一味違うところです。現在のカレー本の基礎を作ったといってもいいでしょう。

 続いて92年には吉田よし子の『カレーなる物語』が出版されます。熱帯植物の専門家が語るスパイスの説明が売り物なのですが、この本にはひとつ問題が。日本で最初のカレー目撃談として「飯の上にトウガラシ細味に致し、芋のドロドロのようなものをかけ、これを手にて掻きまわして手づかみで食す。至って汚き物なり」と、幕府の第二回遣欧使節団に参加した三宅秀の日記を紹介しておりまして、2000年の井上宏生の『日本人はカレーライスがなぜ好きなのか』や08年の水野仁輔の『カレーライスの謎』などいろいろな本にも引かれております。刀を差した若侍が初めて日本の国を離れ、船中で外国料理を見て目を白黒させる…なんていうエピソードは世の人の好むところでありますから。

 ところが02年の小菅桂子の『カレーライスの誕生』では、「三宅秀関係書籍にあたったかぎり目撃情報はどこにもなかったので真偽のほどはわからない」とあります。どうやら軍配は小菅氏に上がるようでして、『サムライ使節団欧羅巴を食す』『拙者は喰えん! サムライ洋食事始』では、ほとんど同じ文が同じ使節団の岩松太郎の日記にあることが指摘されています。ただし「汚き物なり」ではなくて「きたなき人物の者なり」。カレーが見苦しいのではなくて、食べ方が見苦しく感じられたのですね。ちなみに文久4年2月5日(1864年3月12日)の岩松日記には、この食べ方をしていたのはインド人ではなくアラビア人とあります。彼らは夕陽に向かって三拝したりと(ムスリムの礼拝でしょうか)、日本人の目には奇妙に映ったようです。

 まあ正直な話、ほとんどの人にとっては最初にカレーに出会ったらしいお侍が三宅君でも岩松君でも構わないでしょう。ただ94年の『丁髷とらいすかれい』では、表紙にカレーを手にした羽織袴の三宅秀の似顔絵が描かれており、ちょっと勇み足でした。

 なお井上氏は三宅秀の日記からと紹介しておきながら、「汚く人物の者なり」と引用しておりまして、吉田氏の本とも微妙に違います。いったいどこが誤りの震源なのかしら。三宅秀のエピソードは何々の本から採りましたと明記してあれば話は簡単だったのですが、それがないからわからない。料理関係の薀蓄本にはよくある話です。お固い研究書じゃないからいいじゃない、というのが理由でしょうが、固くない料理の話こそいろんな本に丸写しされやすいので、間違いが広まりやすくて危険です。書き写していくうちに誤解も生じます。伝言ゲームみたいなものですね。時間が経つにつれて研究が進み、真実に近づいていくかと思いきや、むしろどんどん遠ざかったりします。おまけに今はネットっていう厄介なものもありまして、試しに三宅秀+カレーで検索してみるとぞろぞろぞろぞろ…。

 それにつけても皆さんカレーを初めて見た日本人とか、カレー南蛮の発明者とか、ホント初めてが好きですよねえ。いま私がちょっと気になっているのは、日本初の即席カレー「ライスカレーのタネ」を売り出したとされている神田松富町(今の外神田)の「一貫堂」についてでして。

 この製品は明治39(1906)年の新聞の広告によると「カレー粉及極上生肉等を調合乾燥し固形体となしたる」とあり、熱湯で溶かしてご飯にかけて食べるそうです。で、さらに続けて「尚流行の蒸パンや(に?)バタの代りに着けて召し食(あが)ると至て結構です」と謳っております。カレーパンの実用新案特許は1927年に出されていると『カレーライスの誕生』にありまして、カレーとパンの組み合わせとしてはずいぶん早いですよね。イギリス人だってカレーはパンじゃなくてライスと食べます。ナンやチャパティの代わりかしら?

risecurry.jpg 実は一貫堂は蒸しパン用のセイロやパン種の発売元なんですよ。だからこんなに蒸しパン推しなんですね。本業はいったい何だったのでしょう。さらに付け加えるとほぼ同時期、同じ神田でも猿楽町の「蔦の家岡島商店」という店が、やはりライスカレーの種を売り出しております。東京朝日新聞の広告では、こちらの出稿のほうが2ヵ月早いくらいでして、どちらが先に売り出したのかはよくわかりません。翌年3月の広告によると「ライスカレーノ種」で商標登録をとったようですし(一貫堂のほうの広告は「ライスカレー種」「ライスカレイ種」というのがありましたがライスカレーのタネというのは見つかりませんでした)、一貫堂がシチュウ種を発売すればハヤシライスの種を発売するという具合で、手ごわいライバルだったと思うのですが、各種カレー本ではまったく取り上げてもらえていません。

 湯で溶くだけではたしておいしく食べられたのかちょっと疑問でありますが、この年の『家庭雑誌』12月号「カレーの話」には、「近頃盛んに広告せられているライスカレー種と言ふもの」というくだりがありまして、結構話題になったようです。ちなみにこの雑誌、堺利彦の創刊でこの号の編集人は大杉栄。また即席の既製品に頼らないカレーの保存法をとくとくと解説した大石禄亭は、大逆事件に連座した大石誠之助のペンネーム。全共闘かぶれなんぞは裸足で逃げだす布陣であります。

 そもそもこの製品、「肉を調合乾燥」ってフリーズドライみたいですが、誰の発案で、どのように製造したのでしょう。ほかにも同じような商品に取り組んだメーカーはあったのでしょうか。ここんとこをもう少し掘り下げたいところですね。明治37年から38年の日露戦争の頃に湯に溶かすと中から国旗やらが出てくる懐中汁粉が流行ったそうですが(以前、松江の和菓子屋さんが復刻発売しておりました)、その辺からの発想だったんですかねえ。世のカレー本はずいぶん増えましたが、まだまだわからないことはありそうです。

 振り返ってみますと、江原・森枝両氏の本が、岩波新書の向こうを張った三一新書と講談社現代新書に収められているのに対し、吉田・小菅両氏は筑摩プリマーブックスと講談社選書メチエで、井上・水野両氏は平凡社新書に角川SSC新書。時代が反映されてますね。料理の話題がどんな本で語られてきたか、出版文化上どんな扱いを受けてきたかがなんとなくうかがえます。濃い欧風カレーの時代から、本格派をうたったインドカレーが一般にも広まって、近年わっとスープカレーブームが起きたのとなんだかちょっと似てますねえっていうと、たとえが悪いですかね。いやいやいや、スープカレーや井上・水野両氏が本格的じゃないって言ってるんじゃけっしてないですよ。スープカレーは江原氏がいうところの汁かけ飯タイプのカレーの復権であり、カレーの新しい道を示しています。井上氏の本はノンフィクション作家らしい手練なまとめ方だし、水野氏の本はルーやレトルトといった日本のカレー文化の根本を支えている商品にスポットを当てている点でなかなか読ませます。ただ、最近の新書はどっかで読んだことのある話が多くて、ちょっと薄いんですよねえ。まあ、これも好みの問題でありますが。

 ちなみに著者のはっきりしないカレー雑学本のたぐいは、それこそ既存の本の寄せ集め色が強いのでここでは取り上げませんでした。ただし84年の『カレーライスの本』は別格でして、カレー写真、じゃなかったカラー写真で阿佐田哲也が我が家のカレーの作り方を伝授したり、官公庁の食堂のカレーライスを食べ比べたりとなかなかひねった内容です。この本はフタバブックスというシリーズで、新書版なのに丸背の上製本というちょっと豪華な作り。のちに双葉文庫から出た『カレーライス物語』と比べるとデザインも企画力も古きよき時代を感じさせますな。


  
  
  
  

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投稿者 webmaster : 2011年12月07日 17:06