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2010年08月25日

店で役立つ技術と欲しかったメニューが続々登場!
編集担当者より♪

06082.jpg『フレンチテクニック パテとテリーヌ』
柴田書店編
発行年月:2010年8月27日
判型:B5変 頁数:124頁


06083.jpg『フレンチテクニック コンフィとリエット』
柴田書店編
発行年月:2010年8月27日
判型:B5変 頁数:116頁


06082_b.jpg 毎日暑いですね。
 みなさん、2010年の8月、9月は
「柴田書店におけるフランス月」です!

(特に深ーい意味はなく、単なる偶然でフレンチ関連の本が
まとまっただけなのですけれど・・・)

 な、何とフランス料理6冊と
フランス菓子1冊の新刊が発売されます。
ぜひぜひ書店の料理書コーナーに立ち寄ってみてください。
おいしそうな表紙の本がずらりと並んでいるはずです。

 そのなかで新しくスタートしたのが、
「フレンチテクニックシリーズ」です。

初回は『パテとテリーヌ』 『コンフィとリエット』
2冊をお届けします。

 昨今の草食系野菜ブームに真っ向から対向して、
迫力満点の表紙には、分厚く切った「ジビエのテリーヌ」と、
艶やかなソースがたっぷりかかった「鴨のコンフィのブレゼ」が
登場します。 おいしそうでしょ!
 写真はフランスの国の形をイメージして六角形にレイアウトしました。

 元来フランス料理は、
系統だった理論のもとに構築された料理なのですが、
本シリーズでは、その中から1テーマを絞って取り上げます。

 毎日の店での仕事の中から、
本当に必要とされる技術やメニューを選んで、
実際に役立つ内容を盛り込んでいきたいと思っています。

 みなさんにとって必要なこと、
知りたいことがありましたら、どんな些細なことでも結構ですので、
どうぞご返信ください。

広くみなさんのニーズに即した内容を、
本シリーズでは反映させたいと思っています。


06082_a.jpg

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投稿者 webmaster : 10:34

2010年08月20日

“料理人の創造力に火をつける一冊” 担当編集者より♪

006080.jpg『魚介のフランス料理』
柴田書店編
発行年月:2010年8月23日
判型:B5 頁数:270頁


社内に既刊本をおさめた本棚があります。
わたしたち編集者は調べものをするため、
より多くの知識を身につけるためにたびたび棚の前に立つわけです。



あるとき、棚の前でふと気がつきました。
フランス料理の本はこんなにたくさんあるのに
「魚介」をテーマにしたものがないではないか!
そこで生まれたのが、本書の企画です。



魚介料理はどうしても定番の調理法に頼りがち。
オードヴルならば、軽い燻製やマリネ。
メインディッシュならば、白身魚のポワレにバターソース。
王道料理に王道料理のおいしさがあるのは確かですが、
魚介料理にはもっともっと可能性があるのではないだろうか?
アイディア豊富で確かな技術のある料理人さんの料理を集めれば、
面白いメニュー集が、きっとできる!


そう思って取材をお願いしたのが、この6人のシェフです(五十音順)。

荒井 昇シェフ(オマージュ・浅草)
岸本直人シェフ(ランベリー・表参道)
高山龍浩シェフ(トゥールモンド・大阪)
都志見セイジシェフ(ミラヴィル・神泉)※
長谷川 豊シェフ(エクロール・築地)
安尾秀明シェフ(コンヴィヴィアリテ・大阪)
※ 2010年秋にリニューアル、店名変更を予定



ほぼ1年にわたって旬の魚を追いかけ、
みなさんに約20品ずつご提案いただきました。
アミューズ、オードヴル、メインディッシュを網羅。
総収録レシピ数は、なんと123品!


どの料理もとても印象的なのですが、
ここですべてをお見せするわけにはいきませんので(当り前)、
おひとり1品ずつご紹介させていただきます。
立ち読み感覚でご覧ください。



 ◎荒井 昇シェフ

arai.jpg[オードヴル]

“瞬間スモークしたサーモンの温製
 半熟卵とキャビア レンズ豆の
 ラヴィゴットソースを添えて”



分厚く切ったサーモンを瞬間燻製。

食べごたえ充分でほんのり温かく
ねっとりとした食感がたまりません。



 ◎岸本直人シェフ

kishimoto.jpg [メインディッシュ]

“佐島産小甘鯛の炭火焼き 200gの世界”



小さな甘鯛の繊細なうろこの食感は、
何にもたとえようがありません。

たぐいまれなその食感を生み出すテクニックに
注目。



 ◎高山龍浩シェフ

takayama.jpg [メインディッシュ]

“黒米のリゾットを詰めたウナギのソテー
 赤ワインソース”



うなぎといえば、日本では鰻丼、
フランスでは赤ワイン煮。

これは、双方を融合させた
「マトロート風鰻丼」(高山シェフ)。



 ◎都志見セイジシェフ

toshimi.jpg [メインディッシュ]

“太刀魚と茄子、フォワグラのコンフィ”



フォワグラの脂でたちうおとなすを
コンフィするようにじっくり焼いたもの。

油を吸いやすいたちうおとなすが、
フォワグラの旨みをじっくりと含みます。



 ◎長谷川 豊シェフ

hasegawa.jpg [メインディッシュ]

“ハタハタのポシェ ソースゲヴュルツトラミネール”



日本の郷土料理のイメージが強いはたはたを
フランス料理の皿に。

上品な白身が香りのよい白ワインソースと
抜群の相性。



 ◎安尾秀明シェフ

yasuo.jpg [アミューズ]

“アンコウのフロマージュ・ド・テット”



あんこうの皮を煮凝らせて
フロマージュ・ド・テット仕立てに。

形、発想、ネーミングともに実にユニーク。



どうですか。どの料理もおいしそうで斬新でしょう?
料理人のみなさま方のインスピレーションに、
ぼわっと火をつけること間違いありません!
魚介のフランス料理の大いなる可能性を感じさせる一冊に仕上がったと思います。

これだけアイディアフルな料理を123品も収録。
ずっしり重い270ページのフランス料理本で3360円はお値打ちです(笑)!
イタリア料理人、日本料理人のみなさまにもヒントになる料理が満載。
料理人を志す学生のみなさんにもお手にとっていただければ幸いです!

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投稿者 webmaster : 12:37

2010年08月10日

料理本のソムリエ [ vo.7 ]

【 vol.7 】
ジャパン・クール“DONBURI”

 前回は牛丼のお話をしましたが、この丼=ドンブリは、あだやおろそかには扱えない、日本の誇る偉大な発明であります。アメリカの吉野家はBEEF BOWLと称しているらしいですが、カタカナで書くと肉だんごみたい。
ここはぜひ、DONBURIをワールドワイドにしていただきたいですね。

donburi_1.jpg というのも、ドンブリという器にはご飯とおかずを一緒に盛る、すなわち一人前を一つの器で簡単にサービスできます。江戸時代に発明されたワンプレートランチであり、料理提供スタイルの革新だったのです。鰻丼、天丼、カツ丼、親子丼、深川丼等々、庶民的なメニューが生まれるにはドンブリが欠かせませんでした。同じような用途の器にお重があり、こちらのほうが歴史が古いのですが、鰻重、天重、カツ重となるとちょっと高級なイメージです。何度も塗り重ねて作る漆器は大きくなればなるほど、製作の手間が増えて高価になるせいでしょうか。漆器には「鰻椀」という大型の平椀もあるのですが、最近はとんとみかけません。

 なおドンブリは日本独自の食文化ですから、中国には天津丼も中華丼も存在しません。これらは日本生まれの中国料理です。伝統的な中国陶磁を見ていると「鉢」や「?」「海碗」といった似た形の器はあっても、丼と呼ぶのにぴったりなものがなかなかありません。とくに牛丼を盛るときに使うような深くて背の高いもの(下の写真の左端のタイプ)は見当たりません。浅くて口の開いたラーメン用のドンブリと比べても、中国の鉢はもっと腰に丸みがあります(右から2番目のタイプが近いかんじです)。大きさもドンブリよりは大きめです。
 取り分けるのが基本の中国料理の場合、鉢には料理を人数分盛り付けるわけですから、口が大きく開いていて丸みがあってたっぷり盛れるほうがよい。一人前が基本の日本のドンブリとは設計思想が違うわけです。
「丼」という漢字は「鰹」のような日本人が作り出した国字ではありませんが、もともと「ドンブリ」という意味はなく、日本であとから器の意味が付け加えられました。本来は「井」の篆書体でして(井上さんや石井さんの実印には丼の字が彫られているはずです)、中国でも使われなくなった古い字です。中国の人が「牛丼」という看板をみてもなんのことやらわからない(もっとも最近は「丼」という字ともども、中国でも認知が高まっているようですが)のは、こうした理由からです。

donburi_2.jpg

 このようにドンブリは日本独自のものなのですが、謎だらけ。まず、なぜ丼という漢字が当てられたのかがわからない。俗に井戸の中にドンブリを投げ込んだ様子を表しており(「井」の中に「ヽ」=ドンブリが入っているように見えるというわけです)、その時の水音が「ドンブリ…」と聞こえたので、この器の名前を「ドンブリ」というとか…。もっともらしい説明ですが、井戸の中に器を投げ込んで、どうやって回収するつもりなのか。そもそも何のために放り込むのか。ちょっと理由がわかりません。

 水音説に説得力がないとなると、語源もわからなくなります。「どん」+「ぶり」という発音はどこかしら怪しい感じで日本語っぽくありません。そのため、「湯鉢」(スープの鉢)と書いて朝鮮語で「タンバル」と発音する器が日本に入ってきて、なまってドンブリになったという説もあります。これは戦前の朝鮮陶磁研究家、浅川巧が『朝鮮陶磁名考』で言い出したもので、講談社現代新書の『食文化の中の日本と朝鮮』にも採用されている比較的有名な説です。
 しかしこれも根拠が弱い。まず朝鮮陶磁でドンブリに相当する形の食器が、中国同様ポピュラーではない。なにせ朝鮮は、料理は金属の器に盛る文化なのですから。それに戦国時代に朝鮮の陶工と一緒にドンブリが伝わったのならわかりますが、朝鮮との国交が制限されていた江戸時代も後半になってから、なぜ突然朝鮮の呼び名が普及することになったのかがわからない。そもそも中国陶磁や李朝陶磁において「湯鉢」という器形を聞いたことがない。浅川氏は「朝鮮の蕎麦屋、一膳めしやで使われている器」が湯鉢と呼ばれていると紹介しているのですが、これって逆に日本から輸入されたのではないかという疑問がわきます。巧は兄の伯教ともども朝鮮陶磁の研究で有名ですが、朝鮮にぞっこんの彼の主張はややもすれば牽強付会なところがあります。

 現在有力なのは「けんどんや」という外食業態にちなむという説です。漢字で「慳貪屋」と書きまして、慳貪とは、つっけんどんなこと。サービスはそっけなく、一人前を盛りきりで提供し(お代わりのない一膳めし屋です)、現金掛値なし。こうした飲食店で使う器が「けんどん振り」と呼ばれ、縮んでドンブリになったというのです。
 しかし、これもどうもストンと腹に落ちない。そもそも愛想のない「けんどんや」という外食産業の実態が今一つ不明なのです。けんどんやにヒントを得て始まったのが、けんどんそば。その配達用の箱が「けんどん箱」で、これが蕎麦を運ぶ「岡持ち」へと進化するのですが、のちに装飾の立派な「大名けんどん」という箱も現われます。これでは豪華なんだか、そっけないんだか、言葉として矛盾しております。
 実際に江戸時代の段階で、何のことかわからなくなる始末でして、「けんどん争い」なるディベートすら行なわれています。論争の主は南総里見八犬伝の著者である滝沢馬琴と、雑学考証の大家である山崎美成。彼らは自慢のお宝グッズ(この時代ですから骨董書画や考古遺物など)を披露し合う「耽奇会」というサークルを開いていたのですが、文政8年(1825年)そこで出品された「大名けんどん」の由来について手紙で大激論を交わします。『新燕石十種2巻』の「けんどん争ひ」や『兎園小説別集』(日本随筆大成第二期4巻)の「けんどん名義」によると、美成はけんどんやにちなむと主張するのに対し、馬琴はけんどんとは本箱に似た型の麺類を運ぶ道具のことであると主張。(つまり馬琴の時代になると、大名けんどんもけんどんやも何のことかよくわからなくなっているのです)泥沼化した挙句、言葉尻をつかんだ言い合いになり、絶交してしまいます。ネットの論争を見ているようでちょっと不毛な印象です。

 とまあ、けんどんがよくわからない以上、ドンブリという器の名称の由来もよくわからないのですが、そもそもドンブリがいつ生まれ、どのように普及したかという研究が、これまた乏しいのです。
 私の知る限り、ドンブリ史をまとめた唯一無二の研究は、寺島孝一先生の『アスファルトの下の江戸』「どんぶりと割箸」の章です。寺島先生は、東大埋蔵文化研究所で江戸遺跡の発掘に従事していたため、この本では文献だけを眺めていると見落としがちな江戸の人々の日常や道具に光を当てています。たとえば屋根の材質や硯、めんこなどで、考古遺物を通じて江戸の食生活について考える章もあります。「どんぶりと…」の章ではドンブリという単語が出てくる文献を探すとともに、当時のドンブリが、現代人が思い浮かべるそれと同じものかどうかを絵画資料から探っていきます。

 さて、ここからは寺島先生の受け売り。丼という語は元禄時代(1688 ‐ 1703年)に書かれた『男重宝記(重宝記資料集成 第11巻所収)』(これは当時の男性向けハウツー本です)にも出てきますが、意識して使われるようになったのは天明年間(1781 ‐ 1789年)だそうです。例の滝沢馬琴の兄の羅文が「近世丼という器出て、あまねくもてはやされる」と記録しております。羅文によると、大きさは10cm未満から30cmを越えるものまでいろいろ、底が細くて口が広く、饅頭を盛ったり、鰹の三杯酢を盛ったりと大活躍していたとのこと。朝鮮語の「湯鉢」を語源とするのに無理があるのが、ここからわかりますね。ちなみにドンブリにご飯が盛られるようになったのは、鰻丼が先駆けだったようです。文化年間(1804 ‐ 1817年)に鰻好きの芝居のパトロンが、観劇中に冷めないようにドンブリに鰻とご飯を入れて蓋をして取り寄せたのが始まりだそうです。

sobanojiten.jpg 小社の『蕎麦の事典』には、例の「けんどんや」や「けんどん箱」についても説明がありますが、都合のいいことに表紙に江戸時代の丼を描いた浮世絵が載っております。「花街模様薊色縫」という歌舞伎の1シーンで、屋台の二八蕎麦屋でかけ蕎麦(麺が太くてうどんみたいに見えるのはご愛嬌)を食べているのですが、六角形の小鉢のような形で今のドンブリとはかなり違います。ところが絵師の三代豊國が同じ画題で描く別バージョンの浮世絵もありまして、こちらは今のドンブリに近い釣鐘型。江戸時代の人の中でドンブリのイメージはいまだ固まっていなかったのでしょう。それが次第に使いやすいように、今の形へと進化していったと思われます。

 ところでこの浮世絵は、日本料理史上のもう一つの大革命を示しています。それはもり蕎麦から、かけ蕎麦への進化。後世のラーメンへとつながる汁そば文化の誕生です。これについてはまた後日に。



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投稿者 webmaster : 11:48