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2013年12月26日

料理本のソムリエ [vol.64]

【 vol.64】

特定秘密の漏洩に当たらないうちに
世界無形文化遺産登録について
しゃべっちゃおう


「和食」の世界無形文化遺産登録が12月5日にユネスコによって決定しましたね。去年からはらはらしながら見ていたのですが、やれやれという感じです。ここまできたらこれまでの流れについて、知ってることをばらしても怒られないよね? つかまらないよね?

 一部でも報道がありましたが、最初日本は「会席料理(正確には“会席料理を中心とした伝統をもつ特色ある独特の日本料理”。特色と独特がかぶってますね)」で登録しようと考えていて、途中であわてて「和食」に変更しました。というのも日本より一歩先んじて登録をめざしていた「韓国宮廷料理」が、昨年の予備審査の段階で差し戻しを食らったからです。予備審査を行なう委員会補助機関の担当国は持ち回りで、このときはイタリア、クロアチア、べネズエラ、ケニア、ヨルダン、そして韓国も入ってました。ですから通過は鉄板だと思われていたのですが、「文化を享受している層が少ない」とみなされて、追加情報の提出を求められてしまうというまさかの展開。無形文化遺産は万が一登録を却下されても、世界遺産の場合と違って4年待てば再チャレンジすることができますが、臆して取り下げてしまったようです。韓国宮廷料理は「チャングム料理」という遺伝子操作で生まれた新種がすごい勢いで増えて生態系を脅かしているので、「緊急に保護する必要がある無形文化遺産」にも相当すると思うのですが…(まさか、この機に乗じて新種も一緒に認定してもらう気だったんじゃないでしょうね?)。

 韓国のつまづきで、浮き足だったのが日本側。お高そうな会席料理では同じ轍を踏みかねないと方向修正することになりました。それでか昨年農水省のお役人さんが、ヒヤリングなのか湯島天神へ登録合格祈願するついでなのか、わざわざ小社にもみえました。ご苦労様です。ところでなんで仕切っているのが文化庁じゃなくて、農水省なんだろ?

 それで「日本料理」の資料として、京都府の提案書というのを見たのですが、もうがっかりしたりあきれたり。「さしすせその基本調味料」「料理の字義は“はかりさだめる”」「割主烹従」「五味五色五法の技法」「料理の三真」…でてくるわでてくるわ。これらのお題目の真偽はおいといて、どうやって外国の人に説明するつもりだったのでしょう?

 「ソモソモさしすせそとは何のコトデスカ? ナゼshouyuがseなのデスカ?」「リョウリがナゼ、料リ理メルと同じなのデスカ?」 本題に入る前に、まず日本語表記と五十音図の歴史から説明しなけりゃなりません。こんなのプレゼンで用意してどうするつもり?

 先の提案書は、何が日本料理の特徴なのかさっぱりつかんでおりませんし、その中の何を伝えたいのか、まだ海外に知られていない魅力は何か、整理されておりませんでした。ただなんとなく偉そうな料理関係のフレーズ(日本料理の世界では割合よく見る香具師口上)を書き連ねて立派そうに見せただけ。こりゃ先が思いやられるよ…。

 会社にみえたお役人さん(上司の方もご臨席になるはずがドタキャンあそばされ…じゃない、ご多忙によりおめもじかないませんでした)には、そもそも何のために無形文化遺産に登録するのかって訊ねてみました。なんかいいことあるのかしら。

 料理がらみでほかに登録されているのは2010年の「フランスの美食」「メキシコの伝統料理」「イタリア、スペイン、ギリシア、モロッコの地中海ダイエット(ダイエットといっても減量じゃなくてオリーブ油を使う食習慣って意味です)」だそうです。じゃあ無形文化遺産になった後で、フランスやメキシコはそれをどのように国内や対外的に生かしてきたのか。日本は登録されたらこれからどうするつもりなのか…。ところが、将来登録の条件が厳しくなりそうなので、韓国に先を越される前に…というあせりが先に立っていて、今後についてはこれから検討するという。走りながら考えている感じ。

 とにもかくにも日本料理の魅力をPR(ひいては日本の食材。農水省だからね)したいらしいので、「外国人が知っている日本料理は寿司だったり天ぷらだったり焼き鳥だったりすき焼だったりするので、会席料理で登録するにしてももっと門戸を広くして、天ぷら会席だとか鳥会席だとか言いくるめて、これらも強引に含めちゃいなさい。あと、登録したあとのPRでは各種料理人の協力も必要になるでしょうから、そっぽを向かれないように、今のうちに挨拶回りでもしておきなさい。調理師団体は衛生や就労の関係から厚労省の肝入りなので」と言っておきました。例の「食育」って奴の場合、厚労省と農水省と文科省でこいつはうちの縄張りだと取りあいっこしていて迷走していますからね。

 そうしたらいきなり寿司どころか「会席料理」の看板を取り下げて「和食」に替えたので、ずいぶん思い切ったことをするなあ、と思ったんです。ゲイシャガールやティーセレモニーの知名度に頼って登録する作戦だとばかり思っていたのに…。農水省HPに挙げられております和食の特徴をみますと「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重」「栄養バランスに優れた健康的な食生活」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「正月などの年中行事との密接な関わり」とありまして、ずいぶん観念的だし、程度の差こそあれ他国の料理文化でも言えないこともない。こんなふわっとした説明で大丈夫なのか?

 そんなこんなで心配していたのですが、まあ無事に通りまして一安心。お隣の韓国も「キムジャン文化(キムチ作りとおすそ分けの習慣)」が登録されまして、顔が立ちましたし。キムチそのものが無形文化遺産になったわけではないので、商業的な宣伝に使うなと、ユネスコに釘を刺されていましたけど。

 ところで、この世界無形文化遺産ってなんなのでしょう。報道では料理関係としてもうひとつ2011年登録の「トルコのケシュケキの伝統」っていうのを含めて、「食の文化遺産はこれまでに4つある」というふうに説明されていますよね。ガストロノミー、先住民族の食文化、地中海世界共通の食生活ときて4つめだから、これってかつてヨーロッパを震撼させたオスマントルコを象徴するような究極の料理かと思いきや、“麦粥”って説明されています。いきなりスケールダウンだよ。ちょっと調べてみるといたしましょう。

 なぜか小社は『トルコ料理 東西交差路の食風景』っていう立派な本を出しておりまして、オール現地取材で食材や料理を紹介する凝りようは、他書の追随を許しません、ていうか、どの出版社もついてこようとしていません。なにせコーディネイトした現地スタッフがシリア国境に近い田舎出身で、錦を飾りたいがために自分の故郷に日本のカメラマンを呼んじゃった。そのためいきなり遊牧民の生活の紹介から始まりまして、子ヤギ一頭のさばき方が載っています。イスラムの教えにのっとった屠畜の映像は一見の価値あるものですが、図書館で小学生男子が女子に見せてきゃーきゃー大騒ぎするのに使われているかも。まあ、欧米人からみると小社の魚のおろし方の本も、おんなじように見えるのかもしれませんが。


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 ところがそんなレア映像も載っているこの本にも、ケシュケキは収録されていませんでした。ケシュケキはアナトリアや黒海といったトルコでも田舎のほうで行なわれるものなのに、残念です。

 幸いユネスコの世界無形文化遺産のHPにはケシュケキ作りの動画がアップされていました。おじさんおばさんたちが歌いながら、麦を杵と臼でついて引き割り麦に加工しておりまして、餅つきみたい。肉と一緒に鍋に入れて棒で叩き混ぜてくずしながらどろどろになるまで煮て、トマトソースをかけてみんなで食しておりました。ただし同じ器から直箸ならぬ直スプーン。よーく叩いてガムみたいにびよーんとのびればのびるほどいいそうで、最近はケシュケキ作り用のミキサーもあるそうです。これまた餅みたい。

nazaru.jpg ケシュケキは婚礼料理だと説明されている報道もありましたが、お葬式のときだって作られます。つまり共同体で人が集まる機会に作られる料理ってわけ。日本でいえば餅つきとか芋煮会みたいなもんですかね。レストランのメニューにないのは当然ですし、トルコ人でも都会暮らしの人にとっては縁がありません。ですから、一昨年ケシュケキが世界無形文化遺産に登録されても、話題にならなかったそうです。それよりも、ナザル・ボンジュー(トルコへ旅行した人ならご存じの、そこらじゅうにある魔除けの目玉です)が落選したことのほうが彼らにとって大問題だったそうで。今年は「トルココーヒーの文化と伝統」が無形文化遺産入りしたので、トルコの人も面目が立ったかな?

 それにしてもキムチもケシュケキも料理というよりは、それを作る習慣のほうに焦点があたってますよね。実は無形文化遺産には別に「料理」というカテゴリーがあるわけではないのです。じゃあ食の文化遺産が4つっていうのも、数え方次第でどうにでもなるじゃない。どうして2010年登録の北クロアチアのジンジャーブレッド作りっていうのは含まれないのか、食べられる素材で作ってあっても飾りだからダメなのか、と思っていたのですが、これで合点がいきました。

aenokoto.jpg それなら日本でも能登地方の「アエノコト」という、田んぼの神様に料理をお供えする儀式が2009年に登録ずみ。せっかくだからこれも仲間に入れてあげてよ。アエノコト(アイノコトとも書きます)は、民俗学の世界では民間の新嘗祭として有名な祭り。田んぼから神様を家までお連れして、お風呂に入れて、食事でもてなします。田んぼの神様は目が不自由な老夫婦なので(“設定”とかいうんじゃありませんよ)、主人が手取り足取りお世話いたしまして、料理については一つ一つ説明いたします。二股のダイコンとハチメ(メバルの仲間)がつきもので、ほかにブリや野菜の煮物などをお供えし、あとでみんなでおいしくいただきます。食事だけの行事ではありませんが、料理なしでは成り立ちません。

 アエノコトは1976年には日本の重要民俗文化財に指定されています。実は無形の文化遺産を保護するという制度は世界に先駆けて日本で始まりました。ユネスコの無形文化遺産はそうした取り組みを参考に2003年に条約が結ばれ、2008年から登録がスタートした新しい制度なのです。ユネスコ日本政府代表部でこの条約の成立時から関わってきた七海ゆみ子氏の『無形文化遺産とは何か』には、誕生の経緯や“無形文化”という概念を各国の言葉でどのように共有するのかといった苦労(この条約の正文は6カ国語で書かれているので)などとともに、この制度の全容がまとめられております。この本を読めば、世間がなあんとなく思っている、「日本の重要無形文化財の世界版」「世界遺産の無形文化版」とはけっしてイコールではないことがわかります。

 そもそも無形文化遺産は世界遺産とは同じユネスコでも担当部署は別ですし、設計思想が異なります。最初は「傑作」という形で登録が始まったものの、すぐに「優れているから認定する」というスタンスをとらなくなりました。遺跡や建物、景観を対象とする世界遺産では先進国ばかり認定されることへの反省や、民俗文化の保護が遅れがちな第三世界を支援する目的ではじまったのであって、優劣をつけるためではありません。それで非常に登録が難しい世界文化遺産と違って、ちゃんと書類を揃えて申請すれば原則登録可能とし、文化を維持するコミュニテイの存在や、人類の文化の多様性という視点を重視する姿勢を打ち出しています。

 フランス料理が登録されたのは、料理技術が優れているからではなくて、フランス人のレストランでの会食の習慣が評価されてのこと。地中海世界全体の食習慣と能登半島の家族のお祭りが同列の扱いなのも、文化に優劣はないというスタンスからです。

 ところが中国・韓国がわが国の優れた文化を世界に知らしめるチャンスとばかりにやたらと登録しようとしてきたので、事務作業が膨大なことになりユネスコはてんてこまい。いっぽう日本も、300近くもある国の重要民俗文化財を指定の古いものから順に送り込むという機械的なお役所仕事をするものだから、後ろがつかえてます。これでは本来もっと申請してほしいアフリカやアジア諸国からの登録がさっぱり進まない。業を煮やして1国あたりの申請数を制限すべきという意見も飛び出しました。農水省があせったのはそのせいなんですね。こうした苦悩と問題点は『ユネスコ「無形文化遺産」生きている遺産を歩く』でレポートされております。

 ネットをみていると韓国と中国の世論は無形文化遺産の趣旨をまったく理解していないみたいですね。「和食よりもわが中国料理のほうが優れているのにおかしい」とか(くりかえしますが、優秀かどうかはいっさい関係ないのです)、「日帝に先を越される前に済州島の海女文化の登録を急げ」とか(よく似たものは共同登録すればいいのです。地中海ダイエットなんか今年さらに3カ国が相乗りして7カ国共同になりました)、ナショナリズムを煽る煽る。もっとも日本人だってあんまり変わりません。和食ハラショー日本サイコーっていう論調がおおっていますが、もっと落ち着いて自らの食生活を見直したほうがいいですよ。

 それに「和食、日本人の伝統的な食文化」が世界無形文化遺産になったって報道されていますけど、正確には「和食、日本人の伝統的な食文化 ― 正月を例として」じゃないですか。ユネスコの和食を説明する動画をみると、餅はつくわお重が並ぶわ子供が親御さんの指導で魚をおろすわで、ちょっと赤面しちゃいます。わが家じゃお供えは飾らないし、おせちだって作ってないぞ。毎年買ってきたのし餅を切って紅白なますを瓶一杯作るくらいだよ…。こりゃあ大変だ。皆さんも無形文化遺産の継承作業、がんばってください。

  

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投稿者 webmaster : 2013年12月26日 16:29