そばうどん2018
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2015年の春、関西のそば界が大きく揺れた。大阪の象徴的存在が突如姿を消したからだ。大阪市大正区の「そば切り凡愚」といえば、関西に三たてそばを知らしめた第一人者というだけなく、極太のそば、季節ごとに変わる店主の帽子、2階の外壁に掛けられた2mほどの象の絵など、強烈な個性で話題をふりまいてきた、いわばスター的存在である。いったいどこへ消えたのか。移った先はなんと和歌山県の高野山麓であった。運河に囲まれた下町の    中の下町から、一気に標高450mの高原へ上昇。店主・真野龍彦氏(73歳)はこのように話す。「開業前の1980年代からの夢だったんです。峠の茶屋みたいなところで、『ああ今日も暇やなあ』なんていうのどかな暮らしに憧れて。それで阪神淡路大震災をきっかけに翌96年くらいにこの土地を購入しまして、いつかここでそば屋をと思って、18年かけて準備してきました」隠居ではなく、新たな道がはじまったのだ。068ぼんぐ右の写真は大正区の店で手挽きする真野氏(2013年)。「店をはじめた頃はみんな挽きぐるみ。脱皮機なんてなかったんじゃないかな」(真野氏)。当時も今も玄ソバ3kgを毎分16回転で2時間ほどで挽く。ふるいはその時々だが、20メッシュ前後を使用。つなぎは3割前後。上左の写真は大正区時代の店内。尊敬する陶芸家、森岡成好氏の器を多く集めており、同氏の窯があったことで新天地に天野を選んだ。下左の写真は大正区時代の外観。最寄りの大正駅まで徒歩20分という場所だが、ニューヨークからの帰国直後、この建物の前でラジカセのBGM付きたこ焼き屋台を出店したところ、月商100万円超を達成。「タコの仕入れ先の市場の人が見に来るくらい。この時に、いい素材でおいしいものを作れば人が来ることを知りました」。まの たつひこ

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