そばうどん知恵袋111
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主な参考資料・『蕎麦の世界』(新島繁「のれん由来」)「永坂町更科蕎麦店の図」(明治35年刊『風俗画報』より)信州更級郡の中心地、篠ノ井は江戸時代にはそば粉の集散地であったため、「更級」の地名は広く知られた。江戸時代のそば屋で「更科」を名乗ったのがたしかなのは、文政7年『江戸買物独案内』の「信州更科蕎麦所」が最初。❸❷~❶❶「砂場」が発祥地❷更級❸信州更科蕎麦所1789180117511848「砂場」は現在営業しているそば店の中でもっとも古い暖簾である。江戸時代の大坂、新町遊廓(西区)の俗称「砂場」が発祥地だったことからの屋号と考えられているが、たしかな史料がないため詳しいことはわからない。江戸のそば屋として初めて砂場が出てくるのは寛延4年(書』で、薬や研げん堀ぼり(中央区)の「大和屋」が「大坂砂場そば」の名目(売り文句)を掲げている。江戸へ進出した経緯などは不詳。嘉永1年(名物 酒しゅ飯はん手て引びき草ぐさ』には6軒の砂場が載るが、「糀こうじ町まち七丁目砂場」(千代田区)は荒川区に場所を移して健在。 一方、「更科」はもともと屋号ではなく、そば屋の掲げた名目で、これも初出は『蕎麦全書』。同書では、馬喰町(中央区)の「甲州屋」と浅草の「斧屋」を挙げている。寛政期(が創業。初代の出身地・信州と主家・保ほ科しな家の縁から地名の「更級」を「更科」として「信州更科蕎麦所」の看板・名目を掲げた。大名家に出入りする高級店として発展、明治以降も東京の代表的な老舗と知られた。ところが、同34年刊『東京名物志』などを見ると、布屋ではなく「永坂の更科」と紹介されている。名目の「更科」が通称として喧伝されるうちに、いつのまにか屋号であるかのように定着してしまった。)には麻布永坂町(港区)に「布屋」)刊『蕎麦全)刊『江戸2715頁の脚注❶参照。

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