そばうどん知恵袋111
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「藪蕎麦」の通称で親しまれた駒込団子坂にあった「蔦屋」の全景。811804181716361818301772「藪そば」の元祖とされるのは、享保期(た「藪の内爺じじがそば」。鬼き子し母も神じんから離れた藪の中にあった一軒家の農家で、兼業でそばを売ったところ評判となった。当初は「雑司ヶ谷そば」で通ったが、門前の茶屋町にそばを看板とする茶屋ができたため、いつしか「藪の内そば」、略して「藪のそば」と呼ばれるようになる。安永期()には江戸名物に数えられ、文政期( 文化期(竹藪の傍らにあったことからの名のようだが、「藪中庵」とも称したらしい。明治に入っても名代の老舗として繁盛し、東京市内の名店案内にもたびたび登場したが、同30年代に暖簾を下ろした。 また、幕末頃には駒込団子坂(東京都文京区千駄木)の「蔦つた屋や」も藪蕎麦の通称で親しまれ、明治期には東京を代表する名店の1軒となった。事情あって明治末期に廃業したものの、神田連雀町(千代田区)支店の後継者がその暖簾を引き継ぎ、同所と浅草でその伝統を守っている。)には深川でも「藪そば」が名をあげている。やはり)、江戸・雑司ヶ谷にあっ)に至るまで繁盛した。~~~~9「藪」、「砂場」、「更科」の屋号の由来は?そばの章歴史・文化篇26

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