cafe-sweets vol.186
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||開業前、堀内さんはどんな店をつくろうと思われていましたか。堀内さん(以下、敬称略) 1994年当時は、ようやくフレンチスタイに憧れて、年に一度はパリに行き、日本にもこういうカフェができたら川口さん(以下、敬称略) フレンチ堀内お客さんのほうを向いていなかっい」という思いが人一倍強かったので、自分なりに好きなものを集めて、お客さんが喜んでくれるような店川口の場所としては機能していたけど。堀内右/「ディモンシュ」の店名は堀内さんが当時好んだフランス映画『日曜日が待ち遠しい!』から取った。2016年に店内を一部改装したが、フランスのカフェを意識した内装は床のタイルをはじめ、ほぼ変わっていない。左/人気サイト「東京カフェマニア」の立ち上げ時期から親交のあるお二人。僕は第1世代ですか(笑)?第ゼロ世代(笑)。栃木・那川口当時、衰退しつつあった喫茶た気がします。ちょっと拗ねた気堀内当時の喫茶店はどこに行っても有線放送がかかっていて、同じよ||カフェブームはなぜ起きたのでしょうか。どう考察されますか。川口て、そこでカフェにふれた人たちが、今度は海外の直輸入ではなく、自分なりの解釈で自己表現の場とい人々のお店づくりの挑戦がカフカフェとは何か?カフェブームとは何だったのか?1994年のオープン以来、日本のカフェブームの火付け役でもある「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」の人日本ではどんどん喫茶店が減僕も喫茶店は昔から好きで、いと思っていたんですけど。店は、閉鎖的な感じが強くなって、あまりわくわくする要素がなかっ分のときに行く場所というか(笑)。うな設え、同じような業務用の器で。ぼくはそれよりも、自分で選んだカップでコーヒーを出し、音楽も自分たちの好きなものを流したかった。 フレンチカフェとシアトル系のカフェが94〜96年に脚光を浴びして、お店をつくった。とくにカフェは資金がさほど必要ないので、若ェブームとして広がったのかもしれません。具体的には、2000年ごろに、第1世代といわれる有名店が出そろった感じがあって、そこすから(笑)。須の「SHOZOCAFE」さんとかもそうなんでしょうね。年くらい。あと「ヌフカフェ」(同・気マスター、堀内隆志さん。日本のカフェシーンを長く見つめ続けてきたエッセイストの川口葉子さん。お二人ならではの視点で、カフェについて語っていただきました。ルのオープンカフェが東京にできたころ。当時、僕はフランスの文化いいなと思っていました。カフェは開放感も感じられて、当時新しい文化にもふれられるイメージがありましたね。った時代でもあって。その理由の1つが、お店の都合を優先させて、たことじゃないかなと。僕は「自分だったらこういうものをつくりたをつくろうと考えたんですね。 つくり置きのコーヒーと冷凍の料理を温めるだけの喫茶店もありました。それでも、読書や商談本を読んだりするのにはすごくいで「カフェって、こんなに素敵なんだ」と思った人たちが02〜09年ごろ第2世代のカフェをつくり出して。堀内川口堀内||第1世代のカフェにはどういったお店がありましたか。川口 「バワリーキッチン」(東京・駒沢)の成功を受けて「ロータス」(同・表参道)ができたのが2000堀内さんはもうパイオニアで堀内隆志さん川口葉子さん「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」オーナー「東京カフェマニア」主宰・ライター・エッセイストtext:Mariko Itoda photo:Takashi Misawa川口さん 052        カフェブームが起こった最初のころは、オーナーの個性が隅々にいき渡っていましたね

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