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2013年09月02日

料理本のソムリエ [vol.59]

【 vol.59】

京野菜を育んだのは土か人か

 トマトがらみでもうひとネタ。アメリカでは生食用トマトでも、果汁が少なくて固いものが喜ばれるんだそうです。「加熱調理用ならまだしも、なぜまたそんなトマトを?」と思ったら、ハンバーガーに挟むのに果汁たっぷりだとパンズに染みて困るからだそうでして。固いとスライスしやすいしね。日本のトマト農家は甘くてみずみずしい、果物のような味を追い求めていますが、ずいぶん方向性が違います。 

 お国が変わると料理が変わり、当然求められる野菜の性格も違ってきます。だから各地でいろいろと特徴的な品種の野菜が作られてきたわけでして、郷土の料理と地元の野菜は密接に結びついております。その際たるものが京野菜でして、かぶら蒸しを作るにはやっぱり聖護院蕪、田楽茄子を作るのには賀茂茄子がぴったりですよね。

 京野菜は今や全国に通じるブランドですが情報不足気味だった時代が長く、90年代以前は林義雄先生の『京の野菜記』(1975)、『京の野菜―味と育ち』(1988)、高嶋四郎先生の『京野菜』(1982)しかありませんでした。というか、現地をよく知る専門家の京野菜の本は今でもこれくらいかなあ。高嶋先生は改訂増補するつもりでいましたが果たせず、お弟子さんたちが遺稿をまとめて『京の伝統野菜と旬野菜』(2003)として出版しております。

 京都府立大農学部の高嶋先生の本は各種京野菜の履歴書というか、いつの時代にどこからもたらされたのかといった学術的な内容。お弟子さんだった林先生の本は京都府の農業試験場所長や指導所長だったキャリアを生かして、生産者の様子も盛り込んだちょっとエッセイ風になっています。ただどちらもモノクロ写真中心なのと、まったく現場を知らない人向けには書かれていないという難点が…。

horikawagobou.jpg 以前堀川牛蒡の栽培について調べていたときのこと。高嶋先生の本をひもとくと、歴史的な由来しかない。一方林先生の『京の野菜記』のほうには「…植える苗は前年の九月にまいた苗のうちから、長さ一尺五寸(四五センチ)以上で…六月の中、下旬に植える。植え方は普通の植物の植え方とは違って、東南に向けて一五度の角度に寝かせて浅く植える」ってあったんですが、これって横にして植えなおすってこと? ゴボウを?? たしかに堀川牛蒡ってよく見ると、頭と尻尾のところでクランクみたいにカクカク折れ曲がっていまして、寝っころがっていないとあの形に育たない。半信半疑で、わざわざ農家に電話して確認してしまいました。今ならネットで検索すりゃ写真入りでぞろぞろヒットしますが…。便利になりましたねえ。

 このときにふと思ったのですが、京都の野菜ってどうして土の中へ深く伸びるタイプのものが少ないんでしょう。ナスやトウガラシのような空中に実るものはともかくとして、聖護院蕪はもちろん聖護院大根もまん丸で、半分土から顔を出しています。九条葱は白い根深ネギじゃなくて葉ネギだし(まあ白ネギは土寄せするんですけどね)。

 アクがないので有名な山城のタケノコだって、厚い盛り土をしてふかふかにした特別な竹やぶで育てるからあんなに柔らかくて白いのです。海老芋は品種自体は唐芋なので普通なら寸胴型になるはずなんですが、土寄せを何度もして、先細りのあの独特な形に育てます。農家はなんだか土と戦っている感じ。それなのに、そこいらのマスコミはおおむね「京野菜がおいしいのは土がいいから」「水がいいから」って解説しています。ホントか?

 賀茂川や桂川が氾濫するたびに、山から栄養をたっぷり含んだ水が供給されるため京都の土は肥沃になったっていう説明も見たことがありますが、それってナイル川じゃないの? そもそも、いったい何年前の栄養に頼って野菜を作り続けているの??

 京都帝大農学部の大槻正男先生は、宮城県生まれで東京帝大出身。大正時代に京大に赴任して初めて接した京野菜のおいしさに驚きます。ところがある日、隣の家の竹やぶのタケノコが自宅の庭に生えてきまして、さっそくゆでてみたところ、普通にアクがあって固かった。そのため、おいしさの秘密は独自の栽培方法にあり、と気づいたそうです。ネコババしておいて、ねえ。隣の家に形見の皮は届けのたかしら。

 大槻先生は、当時の京都では水田を翌年には畑にする転作が行なわれており、栄養分やミネラルの富んだ農業用水が引き込まれた後の土地で作るため、野菜がうまいのだろうと推測されました。これなら氾濫説よりも納得がいきます。

 林先生の『京の野菜―味と育ち』でも、この転作の習慣は紹介されておりまして、“田畑輪換”というそうです。また、畑にしても一つの畦に同じ作物を作るではなく、複数種を植える“複作”が行なわれていたともあります。これも転作同様に狭い土地を有効活用する知恵なんですが、組合せによっては日陰を作ったり病気を防いだりと互いを助け合い、収量を伸ばすことができます。最近よく耳にするコンパニオンプランツってやつですね。

kamikamochiku.jpg ついでにいうと京都の水質がいいからおいしい野菜が育つっていう説明もおかしな話で、野菜と豆腐を一緒にしちゃいけませんよ。野菜の栽培は基本的に雨水やため池なんかに頼るもんですが、上賀茂や伏見は湧き水が豊富で農業用に使われています。水がいいからじゃなくて水に恵まれているからなんですね。そもそも灘の宮水じゃあるまいし、野菜が喜ぶようなミネラルたっぷりの硬水は飲んでもおいしくないです。

 京都は盆地で大阪平野や濃尾平野のように沖積土でもなければ、関東平野のように火山灰土でもない。北山の花崗岩が風化した真砂(まさ)土です。肥持ちがいい(肥料が流失しにくい)一方で、小石まじりで酸性土壌。粘土状に細かくくだけてしまうと水はけが悪くなり、長所ばかりとはいえません。前回触れた『菜園づくりコツの科学』の著者の西村和雄先生はやはり京大の先生で京都在住なんですが、雨の翌日はぬかるみになるような水はけの悪い畑を、牧草の力を借りて改良した、なんて苦労話が載っています。

 京都は関東ローム層なんかと違って耕土が深くない土地だったから、それに合った品種や栽培方法で野菜が作られてきたのではないでしょうか。事実、聖護院大根は元をたどると尾張の宮重大根(青首大根のご先祖様。フツーの形です)でして、その中から太くて短いものを選抜していった結果、あの大きなカブのような姿になったそうです。そんな風土と農家の努力が京野菜を京野菜たらしめてきたわけですが、有名になるにしたがって、素人相手の説明として、手っ取り早くてなんとなくわかったような気にさせる「土」だの「水」だのが担ぎ出されてきた気がします。

 あるいは農家の人が謙遜して、「いやあ、土がいいからおいしいんですよ」なんて言ったのを鵜呑みにしたのかもしれません。料理人さんが「いやあ、素材がいいからおいしいんですよ」って謙遜するのと一緒ですね。こっちも額面通りに受け取られているようですが、いくら素材がよくったって、腕が悪けりゃぶち壊しですからね。

 料理の世界だと、スタッフが同じ材料と分量と手順でまったく同じように作っても料理長が作ったほどおいしくない、っていうことはよくあります。一見同じようでいても火力が違ったり、作業のタイミングが違ったりしていまして、そこがレシピのポイントだったりするわけです。でも、これって言葉にするのが難しかったり、料理長自身もいつの間にか身につけていて自覚していないってことがあります。料理の世界では「仕事は見て盗め」なんていう。前近代的だという批判はもっともなんですが、教えたくても教える言葉もスキルも持ち合わせていないので、勝手に観察して探ってくれ、という意味だったりもするんです。まあ、そこを無理やりにでも引き出すのが、我々の仕事だったりするわけですが。

 ところが農業だと料理と違って仕込みから完成までひとシーズンかかりますので、雑誌記者やテレビクルーがちょっと眺めたくらいじゃ作業の特徴がわからない。農家も親から教えてもらった方法なので、よそではどういうふうに作業しているか知らなかったりしますし、そもそも赤の他人が修業のために一緒に働くっていう機会はないので、料理人以上に作業内容を言葉で逐一説明するのに慣れてない。となると地元の試験場の林先生や高嶋先生のような立場の人でもない限り、名人芸を指摘することはできないでしょう。

 京都の野菜の評判が高いのは、よい野菜を作れる腕利きの農家がたくさんあったから。そしてそうした野菜が作れてこれたのは、京都の街の人や料理人がよい野菜を求め、高いお金を払ってでも買ったから。こうした消費者の声に熱意ある農家が応えて、さらに料理向きの野菜へ改良されていったのにほかなりません。

 京都の農家は市街地が近いので、化学肥料のない時代でも街から出る屎尿やゴミを肥料とし、畑を肥やすこともできました。それでも、『京の野菜―味と育ち』によりますと、屎尿やゴミを取りにいくことができる距離の農家は限られているうえ、戦前から宅地化が進み、どんどん減る一方だったそうです。なにせ当時はすべて人力で運んでいましたからね。ちなみにこの本では京都の農家で使われてきた各種農機具の説明に30ページ以上を割いておりまして、そのひとつひとつから、農家の工夫と苦労がしのばれます。

 もし、放っといてもおいしい野菜がワサワサ作れるくらいに京都の土と水が理想的なら、伝統野菜にとどまらず、レンコンやら大豆やらお米やらどんどん栽培すればいいんですよねえ。市内には数えきれないほどのお寺さんがありますから、境内に畑を作って、収穫物をお土産や精進料理にして観光客にふるまいつつ仏の心を説けば、6次産業化をはるかに超えた高次元産業化も夢ではありませんよ。

 それとも儀式用ならいざしらず、宗教団体の土地で野菜を育てるのは、公益事業ではないから違反なのかしら。むむ、ここは国の出番ですぞ。TPPに負けない強い農業作りってやつのために、異次元緩和しなきゃね。

  
  

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投稿者 webmaster : 2013年09月02日 13:44