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2011年03月02日

料理本のソムリエ [ vo.18 ]

【 vol.18】
忘れられない利き水名人

 かなり期待していたんですよ…。何にですって? 『サンデー毎日』の連載「新忘れられた日本人」の「東京都水道局きっての利き水名人」の回です。2月6日号の目次にあるのをネットで発見しまして、佐野眞一先生ならではの取材力に期待して、いそいそとコンビニに向かいました。ところが開いてみれば「え…………、これだけ?」。なにしろ前半分は霞ヶ浦の上下水道問題についてでして、利き水名人の業績については1ページしか割かれていないじゃないですか。当然次号に続きがあるのだと勘違いしてしまいました。このままでは前田學さん、また忘れられちゃいますよ…。

 正直な話、この雑誌連載は、宮本常一の名著『忘れられた日本人』にあやかろうとして、とかく誤解を生みやすいタイトルをつけた編集部に責任があるように思われます。内容から判断するに「佐野眞一のお蔵出し」とするのが正しい。長年の取材生活で得た情報から、過去の単行本の抜粋や紙幅の都合上取り上げなかったような小ネタに光を当てた読み物です。今回の記事を読むと、霞ヶ浦のほうが過去の取材対象で、前田さんは「新忘れられた日本人」というタイトルに合わせるために引っ張り出されたようです。だから通りいっぺんの話で、新味がないのでしょう。
 そんな無理をするくらいなら、この連載で外食産業の名物社長たちを取り上げてほしいのですが、サンデー毎日さん、いかがなものでしょう。なにしろ佐野氏の単行本処女作は『戦国外食産業人物列伝』(猪瀬直樹、山根一真、小板橋二郎と組んだグループ915名義の著作は除きます)なのですから。この本は、養老乃瀧の木下藤吉郎、ロイヤルの江頭匡一、すかいらーくの茅野亮、小僧ずしの山木益次、ロッテリアの重光武雄、日本マクドナルドの藤田田、吉野家の松田瑞穂という7人の外食チェーン創業者を取り上げたルポルタージュです。誰も彼も濃いキャラクターの持ち主のうえに、ここに切り込むのが若き日のぎらぎらした目の佐野眞一。よくある社長礼讃ビジネス成功譚に終わらず、なんでもあぶりだしてやろうとぐりぐり彼らの人生観にがぶりよります。グループ915の仲間だった小板橋氏もほぼ同時期に『外食産業の経営戦略』という本を上梓しておりまして、どうやら取材データはかなり共通しているようなのですが、その利用方法が全然違うのも面白い。それぞれのタイトルが示している通り、小板橋氏の本は企業研究であるのに対し、佐野氏の関心はもっぱら企業戦略の分析よりも人間像とその動機を探り出すことにあり、その後の作風がすでにここにも表われております。
 「新忘れられた日本人」の連載では、一般にもよく知られている藤田田や江頭匡一しかお蔵出しされていないようですが、むしろ残りの5人のほうが断然「忘れられた…」のタイトルにふさわしい。割愛した話題がいくらでもありそうですから、ぜひともご一考をお願いします。

 ちなみに佐野先生の初期作品には『業界紙諸君!』というのもありまして、こちらもアクの強い登場人物揃い。海千山千の業界紙のオーナーや編集者を取り上げたものです。たった一人で『蒟蒻新聞』の発行に心血を注ぎ続けた村上貞一氏などは、ちょっと胸が熱くなる話でして、単行本『新忘れられた日本人』にも収録されております。こちらは『戦国外食産業…』と違って、めでたく文庫化されております。
 ただ、この中にホテル業界「誌」を発行している小社と創業者の柴田良太も登場しているんですよね……。もともと柴田書店が自動車関係の出版物でスタートしたこと、江上トミ著の『私の料理』がヒットしたこと、飛行機事故で志半ばで亡くなったことなどのエピソードを交えながら、結構好意的に取り上げてくださっているのですが、内幕をよく知っているだけに残念ながらいまいち。取材されているのは当時『月刊ホテル旅館』編集長だった松坂健氏でして、読んでいると、親戚の叔父さんが街頭インタビューを受けているのに出くわしたみたいにこそばくなるという個人的な事情もありますが…。


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 佐野先生のほうも、ホテル業界誌の空気はそれまで取り上げてきた業界新聞のオーナーとは勝手が違って、面食らったり呆れたりしたそうです。そもそも柴田書店クラスでは、外食産業の雄や各種業界を震え上がらせるこわもてなジャーナリストたちとは格が違いますから、筆のふるい甲斐がなかったのではないですかねえ。
 それでも何とか面白エピソードを入れようとして、「あそこ(柴田書店のことです)の組合は猛烈に強く、社員は好き放題だった。ヨーロッパ取材と称して、一カ月レンタカーを借り切り、毎晩三ツ星のレストランで食事をする。そんな大名取材ができたのも、ホテルや外食産業の伸びが異常だったからで、仮にほかの業界だったらとっくに潰れていたはずだ」なんていう談話が紹介されていますが、こりゃ買いかぶりすぎです。いくら組合が強くとも、取材旅行は業務ですから。こんなのほほんとした楽しいものではなかったと聞いています。

 おっと、寄り道が過ぎました。涙なくしては語れないフランス長期足軽取材の真相については、いつかまた日をあらためて。今回は元東京都水道局主査、水のにおいの検査員を務めてきた前田學さんに関わる本について紹介するはずでした。
 前田さんについては、水質研究の第一人者であるの小島貞男氏が『水道水をおいしく飲む』などの各著作で再三触れていまして(もっとも匿名でM氏とあるのがほとんどですが)、佐野先生の先の記事もその範疇を出るものではありません。ここにちょっとまとめてみましょう。

 前田さんが水道局に入ったのは1947年で、初めから水のテイスターだったわけではありません。パリやロンドンのように水道水のテイスターを東京にも置こうということになり、試験室に勤務する人たちがかたっぱしからテストされ、その中から実力が見込まれて抜擢されました。
 あるかないかの淡い“水の香り”をかぎ分ける、前田さんのたぐいまれな能力がフルに発揮されたのは62年のエピソード。地下鉄工事中に水があふれ出てきたのですが、天然の湧き水なのか水道水なのか原因がわからない。それを前田さんがにおいから朝霞浄水場から送られてきた水と判断しました。しかし工事現場は朝霞浄水場の配水地域ではありません。同浄水場の水を運ぶ本管は工事現場から30mも離れているし、まだ新しくて水もれしそうにない。それでも試しに朝霞浄水場の水を止めてみたら、湧いていた水がぴたりと止まった。はたして掘り返してみると、この水道管にひびが入っていたのが見つかったのです。
 また東京、千葉、埼玉の120万世帯の水道水で異臭騒ぎがあった77年の正月。休み中の前田さんが駆り出され、においを頼りに利根川をさかのぼることになりました。100km上流の坂東橋でピークに達していて、そこから先は問題ない。そこで今度は坂東橋付近の支流をたどったところ、果たして工場の汚水池があふれていることがつきとめられました。
 前田さんの能力は、資料によって違っていまして普通の人の100倍と書いてあるものもあれば、利根川にコップ1杯の排水を捨てたくらいの濃度をかぎ分けることができるというものもありまして、よくわかりませんがどちらにしてもたいしたもの。1984年に組織された旧厚生省の「おいしい水研究会」のメンバーであり、雑誌、テレビといろんなメディアに登場されていましたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね(ちなみに旧環境庁の「名水百選」が選ばれたのは1985年。林野庁の「水源の森百選」が1995年で旧国土庁の「水の郷百選」は1996年。縦割り行政と省庁間競争のにおいがぷんぷんします。てっきりこの辺の謎が次回の「新忘れられた…」で取り上げられると思っておったのですが)
 佐野先生は「前田は、味覚や嗅覚に微妙な狂いが生じないよう、コーヒー、タバコは一切口にせず、整髪料もまったくつけたことがない」と文章を締めくくっていますが、これは誤り。前田さんはこの仕事に着く前は、タバコを吸っていましたし、整髪料も使っていたそうです。もちろん天分の才はあったのでしょうが、この能力は後天的に開発されたもので、においがかぎ分けられるようになったのは仕事について3、4年目からだとか。だから香水や酒、コーヒーの香りについては普通の人並みで、かぎわけられるのは水だけだそうです。

 前田さんはどんな訓練を積んだのか。その謎の答えは、製薬会社の日本グラクソが香りに関するインタビューを集めた『鼻学―鼻の文化考』に収録されています。水の香りを認識、記憶するための第一ステップは、言葉に表して具体的にイメージすること。前田さんは、たとえば川の水全般に感じられる「植物のある場所を通った緑色感」を、四季で表現します。春はうすーい緑。夏は緑が深くなって、秋には枯れていく。さらに土、艶、潤い、もや、透明度、乾燥度といった独自の表現方法を作り出して、その水がどんな個性があるかを見(利き)定めたというのです。たとえば先の朝霞浄水場の水の特徴は甘い砂糖の香り、それも黒砂糖ではなく白砂糖、というふうに。ちなみにうすーい緑色の水だったら、たいていおいしい水なのだとか。

 タネを明かすと、私が前田學さん情報に妙に詳しいのは、取材しそこねた悔しい思い出があるからでして。もう10年以上前、毎日新聞のインタビュー記事で読んだ前田さんの記憶法に感銘を受け、ソムリエの田崎真也さんとの香りを切り口にした対談を企画したのです。新聞社に電話をして連絡先を教えていただき(その時には水道局を辞めて、水質検査の会社勤務でした)、さっそく電話を入れました。ところが前田さんは会社に常駐しているわけではないとか。それでは何時、何曜日に出社するのか教えてほしい、とお願いしても「さあ、いつ来ますかねえ(笑)」という人を小馬鹿にした返事。何度電話しても適当にあしらわれ、企画書を送って、ともかく取り次いでほしいと頼んでもなしのつぶて。東京のはるか西にある会社ですから、アポなしで押しかけて交渉するにはリスキーだし…。そんなこんなで企画倒れ。
 これが新聞や週刊誌なら扱いが違っていたのでしょうか。業界誌はつらいですねえ。


  

  

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投稿者 webmaster : 2011年03月02日 15:30